140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

COLOR①

 

 

こんなに印象変わることもあるんだな…というぐらいにmy初日と後半戦の感覚がまるで違ったので備忘録。ふせったーだと遡りにくいからブログに書くけど、気分的にはふせったーぐらいの気持ちのブログ。

 

初回

my初日は手持ち席の中で一番前方席で、ほぼほぼドセン。とても良いお席だったから、正直「手持ちの中では一番の良席がmy初日に来たか、もったいないかなぁ。んーでもこのご時世だと早めに前で観られるのはそれはそれで良いかもしれない?(なんせガイズで帝劇史上最高のお席がmy楽で飛んで行ったので)」なんて思っていた。ありがたく初日からオペラグラスなしで観られる席に座っていた。

さて、そんな初回の感想はTwitterにも書いたけど、とはいえ観た後はその感覚が何なんだかいまいち自分でも理解できていなかったのだけれど、今振り返ると「めちゃくちゃブレーキかけながら観てしまったがためにほとんどストーリーに心が動かなかった」みたいな状態に陥っていたと思う。いや、陥っていたと書くと悪いことのようだけれど、ただ単にそういう状態になった、ぐらいのものか。「ブレーキかけながら」と書いたけれど、ブレーキがかかってしまったのも意図的ではない。初めて観る作品、初対面の人間と一緒で最初は心をあまり開いてないことが多いので、どのあたりで開くかとか、どのぐらい開くかとか、結構作品によりけりだなと思うけれど、初回のCOLOR、びっくりするぐらい私の心が開かなかった。自分と舞台の間になんかアクリル板5枚ぐらいある?ってぐらいに入ってこなかった。入ってこなかったのか私が入れなかったのか。と言いつつも、浦井ぼくの小さく見える背中には、世界から取り残されたみたいな孤独が見えるようでギュウ…と苦しくなり、柚木母の包みこむような、それでいて芯の強さもありそうな母の姿に「同年齢でもちゃんと母と息子の関係性に見えるんだな…」と驚き、出てくる度に違う人かと思ってしまう神奈川県ぶりの成河さん、やっぱり今回も3人しか舞台上には出てこないはずなのに全5人ぐらいに感じてすごいな、と思ったりしながら興味深く見ていたりして、初回も「観劇体験」としては十分楽しかったのだと思う。草太と母の衝突の場面はあまりに大きいエネルギーを正面から浴びすぎて、ビリビリして、わけもわからず泣いていた。あそこは毎回鳥肌が立ったけれど初回は息が止まったぐらいガッと入ってきた。自分の中で何が起きてるか分からないけど知らないうちに涙が伝う瞬間、舞台の上の人の何かをそのまんま貰っているんだろうなと思う。どでかい何かをぶつけられて、わけもわからず泣いている。

そう、感情が動いた瞬間はたくさんあったのだ。あったけれど、完全にストーリーに置いていかれた。話を追えていなかったとかではなく、「入れてもらえない」みたいな状態がずっと続いてしまった。かなり感情の波が大きくうねる話なので、そこから完全に置いていかれると結構身の置き方が分からなくなる。その感情の動きにぴったりはまっている音楽も過剰に聞こえてしまう。観ながら「んー、どうしたもんか…」と正直思った。

 

それは、私がノンフィクションがフィクション化されたもの(余命何年ものの映画とか2◯時間テレビの再現ドラマとか)に対して苦手意識を持っていたことが大きかったんだろうな、とやっぱり思う、Twitterにも書いたけれど。誰かの人生に起きた経験を"物語"としてパッケージ化したものをどう見て良いのか未だに分からない。それに心を動かす、端的に言えばそれに"感動する"ことと、誰かの人生を都合よく物語化して消費する行為との区分けが自分の中で上手くできていない。なので、心を動かしていいのか、どう見たら良いのか分からなくなるのだと思う。(もちろん、例えば2◯時間テレビのそれとCOLORが同じ位置にあるという話ではないですが)

 

ただ、とはいえ、今回発表された時にそれを構えていたかというとそういうわけでもなく、そこはなぜか「まぁ知らんけど何とかなるでしょ〜」の楽観主義が発動していた。適当である。ただ、観るならちゃんと自分にとっての楽しみ方、見方を見つけたかったから(not for meだったらそれはもう仕方ないけど、やっぱり楽しめるなら楽しみたいじゃないですか)、なるべく坪倉さんのお話は読まないようにしていたぐらい(読んだら多分実話を元にしたフィクション苦手症候群が発動して上手く受け取れないことは分かっていたので)。なので、正直初回観に行った時も全然自分ではそれに関して構えているつもりもなかった。

のだけど、結果として、多分思いの外自分の中でめちゃくちゃブレーキがかかってしまったのだろうな、というのが初回の正直な感想だった。上に書いたような、「都合良く物語化された他者の人生の一部を消費しているのでは?」の感覚が、恐らく実際頭によぎっていたわけでもないのに、無意識レベルの場所で発動していて、多分ストーリー自体に心を動かすことを自分で抑制していた。それとは別に、単純に物語という世界の中に閉じている安心感がないのも、場に身を委ねられなかった理由のひとつだったんだろうなと思う。

で、観終わって「あーなるほど、そうなるんか」と思った。自分が。見る前楽観視野郎をしていたので、思ったより結構そこのブレーキが働いてしまったことにびっくりしたし、これは後数回手持ちの分、楽しめるんだろうか(enjoyの意ではなく自分なりの見方を探せるかという意)、と少し心配にもなった。まぁここでも結局はまた何とかなるだろとも思ってはいたけど(適当なので)。そんなこんなで、初回は、役者陣のお芝居それ自体には心を動かされたけれど、作品には心が止まってしまっていた(結果として)、みたいな見方をしていた。終わった後「なるほど……」と思った。で、さて、どうなるかな、と思って1週間空いた。

 

 

2回目

いや、本当にびっくりした。

色々と違う要素はあって、まずキャストが違う。成河さんぼく、めぐさん母、浦井さん大切な人たち。作品の印象がガラリと変わる、それ自体に純粋にびっくりした。聞いてはいたけど本当に別物だった。台詞も音楽も話も大枠は同じはずなのに違う物語に見える。「ハーーーー面白………?」と思った。で、そのキャストが違うことで違う物語に見えるびっくりの隣で、私が前回よりずっとすんなり受け取れたびっくりがあった。普通に「えっ何が起きてる?」と思った。なんで?前回のアクリル版5枚どこに行った?あの身の置き方の分からなさからくる落ち着かなさどこ行った?

多分あらゆる要素からそれは起きていたんだろうけど、とはいえ私に起きたという結果がまずあるので、何でそうなったか、なんてのは結局は予想でしかない。のだけど、予想の中で言うと、まず大きいなと思ったのは座席の位置。普段もそりゃあ、近い方が舞台上の人間達に心理的に近い距離で見てるな、とか、引きで観ると客観的な第三者として見ていたり、時間軸としても近いと"その瞬間"だけに居る感覚になるけど、2階席から観ると"全体のうちの一部"として目の前の時間を感じていたりとか、座席によって受け取り方って変わるよなぁ、とは思う。思うんだけど、えっそんなに変わる……?まさかそんなに変わるとは思わなかったけど、2回目、手持ちの中で本当に私にとっての「ベスト席」だったのだと思う。

そう、ここの席。後方センターブロック少し下手寄り。ここがCOLORの私のベストポジションだったのだと思う。my初日、「とても良いお席」と書いたけれど、ほぼドセンの前方席、私には近すぎたのだろうな、というのが全部観てみての結論である。近くで観ると私は舞台上の人達の感情にかなり同調しがちなので、普通であればグッと入り込めることが多いのだけど、あの日は逆に恐らく作用した。めちゃくちゃ大きな感情の波が目の前まで来てるのに、当の私は自分の感情が動くことを無意識に抑制してるので、その波をアクリル板5枚越しに見て、その相いれなさに困惑した。終始身の置き方に困っていたのは、客観的に観るにはあまりに近すぎるし、かと言って舞台上に視点を置いて感情を動かすこともできなかったからだろうと思う。加えてそもそも初回だから、心のガードが若干固いとか、そんな自分の中の諸々と、劇場の中に配置された位置があまりにも合ってなかったのだろうな、と思う。複数回目だったらまた違ったと思うけど、初回にあの距離感は、私には合っていなかったのだろう。

 

そして、座席の位置に加えて、2回目はキャストが成河ぼくの回だった、というのも大きかったと思う。

「何がどうなってそう感じるのは分からない」、そう、分からなかったんだけど、今も分かりきってはいないのだけど(そもそも分かるって何じゃいな話なので)。この感覚をもう少しだけ掘り下げると、成河さんだと「"ぼく"の物語」になる、というのは多分、抽象度の高さなんだと思う。成河さんのぼく、存在の質感はとてもリアルな感じがするのだけど、話としては成河さんぼくの話だと、"ぼく"の話として観ていられる気がした。"ぼく"の存在自体も、その彼とそのお母さんが過ごした時間としても、話としても、なぜか抽象度が高いような気がした。もちろん"草太"という一人の個ではあるのだけど、何故か成河さんは"ぼく"の感覚が強い感じがする。そしてめぐさんも、その"ぼく"の一人のお母さんとして、一般人Aみたいな感覚で見られたのが不思議だった。この間メリーを見たばっかりなのに、そのめぐさんを「どこかの誰かのお母さん」として見ている。二人とも、何というか個でありながらも、代入できそうなのだ。nみたいな存在。これは本当に感覚的な話なので、あくまで私にとっての話で、何でそう感じるのかも正直未だに全然分からない。ただ、この世界にこういう人がいて、こういう時間を過ごした人がいる、というその時間を目撃しているような時間。「"ぼく"の物語」と書いていたけれど、「物語」という感じもあまりしないのかもしれない。

 

一方で、浦井さんの"ぼく"は"草太"という男の子の物語として私は見てしまうのだと思う。で、その"草太"という人にはモデルがいることを私は事実として知っている。そうすると、この話がフィクションではなく、この世界に実際に生きている実在する"個"の人生の話を物語に落とし込んだ話だということが、どうしても無意識によぎってしまうのだと思う。それがある上で観たあの話は、初回の私には"個"すぎて、その人が目の前であまりに個として"生きて"いて、その表情までもが見えてしまって、多分上に書いたような諸々がある私は、受け取り方がわからなくなってしまった。浦井さんのお芝居を見ているのに、それに心が動くのに、それが受け取れないという経験が初めてすぎて、ちょっと終わった後は軽くショックだった。目の前で"生きている"と思うからこそ、そのお芝居自体に心動かされるからこそブレーキが働いてしまう。何じゃそりゃ、と思ったけどそうなってしまったものはそうなってしまった。どちらが良い悪いじゃないのだ、座席の位置も含め、私のブレーキとの相性が一度目は完全に合わなかった。作品は丁寧に作られていることが分かるし、お芝居にも惹きつけられて、えっ誰が悪いわけでもないのに何この状態……?私の心の問題………?いやでもブレーキ自動発動だし……とぐるぐるしていた。

 

それが2回目、後方席で成河ぼくの抽象度の高い"ぼく"の話を観たことで、多分そのブレーキを発動させない見方を一旦させてもらえたのだと思う。離れた座席で、客観的な位置で、それを"個"の話というよりは、「この世界のどこかにいる"ぼく"という存在」の話として、少し遠くから見られたことで、逆に感情が動いた。動かせた。ブレーキがかからなかった。だからなんかすごく泣いた。何なんだこれは、と思った。あの、2回目を観終わった後の「なんだこれ………?」感はすごかった。前回とまるで違う話を見たと思ったし、前回とまるで違う体験をした。あー入れてもらえたと思ったし、私も入れることができた、と思った。完全なる物語としてでもなく、実話を元にしたフィクションとしてでもなく、ただそこに流れるどこかの誰かの時間を目撃した、みたいな見方をさせてもらえた2回目だった。

 

3回目

この日はナチュラルにチケットを取り間違えて本来はうらぼく回だったけどそんぼく回になったそんぼく回。

この日多分初めて、ようやく最初から見方というか、身の置き所というか、自分の心の置き場がちゃんと安定した状態で見始められたと思う。COLORという作品をちゃんと最初から受け取れた。だから、逆に今度は目の前の成河ぼくを"草太"としても見れていた気もしたし、この"ぼく"はどんな人なんだろう、と思いながら見つめていた。成河さん、すごく存在がそのまんまいるんだなぁ、と思った。その人がそこで息をしてそこで生きてる感じがする。それをたまたま私は目撃しているのだ、という感覚になる。2回目も思ったけどめぐさんの歌はどうしてこんなにダイレクトに心にくるんだろうか、と自分の感情の動き方に自分でびっくりした。歌だけでなくお芝居も、めぐさんは感情がそこに在って、見えて、その感情に伝染してしまう感覚になる。浦井さんはひかるくんみたいな太陽みたいな役が本当に似合うなと思った。誰かの心を緩める、パッと照らす、この人は信じても大丈夫だと自然と思わせる温かさと明るさ。なのに表面だけなぞるような声で言葉を交わして、渇いた会話をするのもリアルだから怖い。うわ、こういう人いる……と思った。大切な人たちの浦井さん、柔らかくなったり固くなったり、温かかったり冷たかったり、信頼できたり胡散臭かったり、その行き来が新鮮で楽しい。

3回目、ようやくちゃんと全体を拾えたような気がして、少なくとも私が受け取れる分は受け取れたような気がして、嬉しかったな、と思う。そこで生きている人をちゃんと一人一人見つめられた。この人はこんな人なのかな、この人は今何を考えているのかな、この人は何を感じているのかな、とか、そういう純粋に湧いてくる思考と、あとは作品の中に流れる流れに乗れている感覚が、弾き出されていない感覚が、普通に嬉しかった。別に乗れることが正ではないし、合わせなきゃいけないだなんてことはないし、別にnot for meだったらそれはそれなんだけど、それでも何かが"合った"なと思えたのは嬉しかった。そして、ここでようやくCOLORという作品の見方が自分の中でカチッとはまったので(それがどういう見方なのかはわからないけど)、「あ、ここでもう一回私は浦井ぼくを挟まなくてはならん」と思った。チケット取りをミスったのでどこかしらで足そうとは思っていたけど、ここで追うことにした。次は浦井ぼくを観なくちゃならない、浦井ぼくをもう一度知りたい、と思ってチケットを足した。

 

 

(4回目に続く)