140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

推しが増えた話③

 

 

何かや誰かを好きだと思う時、「あぁ私にはこれを好きだと思う感性があるのだな」と思う。

 

対象が推しであれば、推しの素敵なところを知った時、私はこの人のこの部分を好きだと思える心が、それを素敵だと感じ取る感性があるのだな、と思ったりする。

推しを推しているときの自分は好きだ。というか、好きなものを好きでいる自我のことが好きだ。なので、推しを推している自分のことも「悪くないじゃん?」と思える。何なら「最高じゃん?」まで思う。なぜなら推しは最高だから。間違いなく素敵だと心から思える推しのことを素敵だと感じられている自分もついでに「良いじゃん」と思える。推しによる自己肯定感の上昇。推しは素晴らしい。推しは今日も(わたしの)世界を救う。

なんてまあつい大仰なことをつい書いてしまうけれど、実際好きなものを好きでいる時間の自分のことを一番都合よく好きでいられるみたいな話かもしれない。でも、考えても仕方ないときにどうにもならない諸々のことを考えているより、好きなものや人のことを考えている時間の方がよっぽど健やかじゃないか、とは思う。そして健やかな時間を過ごしていると、やっぱり幸せ感情は積もるしメンタルに優しい。いつだか「推しを推している自分を推せる!」みたいな電車広告にキモ!となっているどこかの誰かのブログを読んだけれど(まぁそれを外側から言われる気持ち悪さは分かる)、自分ではない何かを見ていた方が自分を好きになれるみたいなこと、普通にないか?と個人的には思う。

 

 

 

今となってはあまり説得力もないけれど、本来は熱しにくく冷めやすい人間なので、あまり人に継続的に好きだな〜〜という気持ちを持てることがなかった。お芝居が好き〜とか歌が好き〜とか顔が好き〜とか声が好き〜素敵なお人柄〜とかいう気持ちはあっても、「この人ずっと追っていきたいぐらいに好き!」とはあんまりならなかった。日常の中にたまに現れてくれればちょうどいいぐらい。

仮に少しその奥に踏み入っても割と早々に飽きるし冷めていた。インタビューを読んでは勝手に冷めるし、素で喋る映像を見ては勝手に冷めるし、昔の姿や発言を目にしては勝手に冷める。別に何もなくても知らないうちに薄れている。基本的に勝手に好きになっては勝手に冷める。大体は一年も興味が継続しない。アイドルにどハマりする友人を横目で見ながら、何故私はこんなにも簡単に冷めるのだ……と思っていたけれど、まあ自然現象なので仕方がないな〜〜と諦めていた。まあそれでその人に迷惑がかかるわけでもないので、そんなもんだろうとも思っていた。多分あんまりそれは今も変わらないんじゃないだろうか。

 

ただここ数年は、やたらと新たな沼に転落しがちではある。

生の舞台には何かやばい魔術がかけられているというのは確実にあると思う。生で、同じ空間で、その瞬間そこにいる人しか目撃できない芝居を見てしまうというのは、やっぱりやばいのだ。やばいとしか言えないぐらいにやばいのだ。観劇をする人々の推しの平均数が多いのはそういうことなんじゃないかと思う。同じ空間でその瞬間しかそこにない同じ空気を共有するとき、そこにはやっぱり何か魔力が働くのだと思う。

流石にこれ以上は増えないだろう……といまや全然言い切れないのが怖い。一人目の推しを推し始めた時には「生まれてから初推し誕生までここまでかかったんだもん、私はこの先そんなに推しが増えることもないだろうな〜〜増えてもしばらく後だろうな〜〜」などと他人事のように思っていた。自分が信用できない。

 

それはさておき、継続的な「好き」を向けられる対象ができるというのは、想像していた以上に楽しいことだった。

推しが一人しかいなかった当時、それでも十分私の日常生活は推しに侵食されていたので、正直一人で手一杯だからもう増やせないな〜と思っていた。推しができたことで色んな世界を見せてもらえた。行ったことのない場所にどんどん連れて行ってもらえた。好きという感情に素直に従って動くことはこんなに楽しいのかと知った。誰かを好きでいる、その人の現在を追いかけるということが、自分の世界をこんなにも変えてくれるものなんだなぁと驚いた。ただ、「こんなにも世界を変えられちゃうの、一人で十分、キャパオーバーでしょ、むりむり私にそんなキャパはないよ………」と思っていた。好きな本も好きなドラマも好きな音楽も沢山ある。けれど、その人の今を追っていたいなぁと思うのは、一人で手一杯だと思っていた。

 

ところがそんなことはお構いなしに、推しというのは突然やってくる。予想もしない方向からやってくる。2020年初夏、私はいつの間にか、気づいたら温泉のような温かい沼に滑り込み始めていた。

 

 

 

時は遡り、2020年春。

1回目の緊急事態宣言が出たあの頃、まだ何もかもがどうなるか分からなくて、外の世界にも全く出れなくて、精神的にも物理的にも、なんだかずっと内に籠っているような時間がずっと続いていた。当時、社会全体も異様な非日常の空気に包まれていたし、私自身も一日中ずっと自室でリモートワークをしている状態で、正直なところ、ちょっと気が狂いそうだった。

寝る空間と働く空間が突然同じ場所になって、自分にとっての唯一無二の絶対安全リラックスゾーンを丸ごと奪われてしまったような感覚が、最初はとにかくきつかった。夢の中でもしょっちゅう仕事をしていた。慣れない新生活、その上気が休まらない。外に出てリフレッシュすることもあまりできず、自分の中に溜まる何かをどう消せばいいのか、どう栓を抜けば良いのか分からなかった。あの時期はコロナに加えて家の中でも問題が発生していて、部屋にいても気が休まらず、足元がぐらぐらで、外の世界も内の世界も揺らいでいた。世界のすべてが不安定だった。ずっと足場が揺れていて、地に足が着かなくて、自分にとっての「日常」がガタガタになっていた。色々なことが分からないまま、落ち着かないまま、不快なまま、不安なまま、ただ仕方なく、のろのろと進む日にちを追っていたような、何というか、ずっと泥のかたまりが喉につまっているみたいな息苦しさが、あの頃はずっとあったような気がする。

 

そんな中、天保十二年のシェイクスピアきっかけで2月頃から何となくずっと聴いていた浦井健治さんのラジオが、知らないうちに、1週間の中の楽しみになっていた。

当時のツイートを遡ると、「浦井さん、天使か何かなのか……?」とか「元気出る」とか「愛が惜しみない」とか、「底抜けに明るいのに(そういう人にたまに感じてしまう押し付けがましさみたいな)いやな感じがまるでなくて、ただただ聞いていて楽しい気持ちになる」とか、沼の外からこの方、本当に素敵なお人だな……と称賛しているツイートがちょこちょこあるんだけれど、もちろん書いたようにそう心から思っていたし、実際は書いていたそれ以上に救われていた。

 

たったの20分、しかも当時はファンでも何でもなかった私が聴いていても、カラッとした明るさを分けてもらえるような感覚があった。外は春の気候でぽかぽかしているはずなのに、あの時期は本当に気分がずっと曇天で、少し気分転換に家で映画を見たり、近所を散歩してみたりしてもあんまり変わらなかった気分が、浦井さんの声を20分聴いているだけで軽くなったり、「あ、なんかまだ自分大丈夫かもしれない」と思えたりして、すごいなぁと思った。し、同時にすごく不思議だった。なぜ少ししか知らないこの浦井健治さんという人に、私はこんなにも元気を貰っているんだろうか、と。

もちろん天保十二年のシェイクスピアの中で浦井さんのお芝居と歌を見て聴いて、その魅力はたっぷり浴びてきていたし、近いうちにもう一度絶対この人の舞台を観に行こう……とは思っていたけれど、それでも沼に足を踏み入れた感覚(自覚)は当時は全然なく。ただただ、万人に与えられる太陽光を浴びに行くみたいな気持ちでラジオを聴いて、元気を貰っていた。

 

完全に沼に沈んだのは5、6月だったと思う。

初期症状、気付くと「浦井健治」と検索をかけている。日常にたまに出てくるぐらいだったはずの「浦井健治」という文字が、結構な頻度で脳内に現れる。中期症状、何故か夢に浦井さんが出てくる。そして末期症状、気付いたら5月末には過去作のDVDを2本買っていた。私がどの段階で浦井さんに完全に落ちたのか、今となってはあんまり思い出せないのだけど、加速していったのは確実に2020年のGWだった。あのお篭り連休に、たまたま加入していたhuluでトライベッカを見て、新たな側面を沢山知って、興味がどんどん高まっていく。ついでにニーチェ先生を見てあっなるほどこの人はこういうキャラも似合う人なんだ……?と理解する(と言いつつも結局3話ぐらいまでしか見れていない)。

 

推しが増えた話②で書いたような気がするけれど、「天保十二年のシェイクスピアの王次」から始まり、「王次の中の人」になり、ようやくラジオを聴き始めて「浦井健治」さんの輪郭を掴み始めたのが3、4月。そして、ラジオと並行して見始めた、ご本人の素の一部も垣間見えるトライベッカとニーチェ先生を見つつ、検索で出てくる情報を軽く漁りながら「なるほど、こういう面もあるのね……?」と中身を何となくぼんやり掴み始めたのが5月前半。この頃でも十分沼に半身浴していた気がするけれど、それでもまだ「とても興味が湧くな……」の段階で、「テーマ:浦井健治さん」という調べ学習をしているみたいな感覚だったと思う。気付けばTwitterで「浦井さん」「浦井健治」「浦井 〇〇」などとワードを検索してはファンの方のツイートを読み漁り、気づけば観られそうな浦井さんの過去作を調べて、気付けば過去のインタビューを発掘し、気付けばファンクラブの案内ページを隅々まで読み、気付けば誕生日を調べては「あっ確かにすごく獅子座っぽい……」とか考えて……………と、こう並べてるとすごい気持ち悪い感じになってきたのでこの辺で止めますね……(オタクの調べ学習怖いですね……….)。そう、でもとは言え、「興味」は私の中では理性がある段階なので、まだ制御不能状態に陥っていないはずという謎の持論上、この時点ではまだ「推し」にはなっていなかった(と思っていた)。とはいえ、落ちる前の最後の悪あがきタイムではある。

そんな私を容赦なく沼底に蹴り落としてきたのが、DVD『ミュージカル シャーロック・ホームズ』。今考えてもあれは、とてもとても恐ろしい沼落としアイテムだったと思う。あんなん見せられて落ちるなという方が無理がある。どう考えてもあれを見て落ちるのは自然現象だと思う。リンゴが木から落ちるぐらい当たり前、浦井さんの沼のほとりにいる人間にシャーロックホームズのDVDを手渡したら皆次の瞬間には沼に落ちて見えなくなる法則がこの世にはある。再生ボタンを押した瞬間にはもう気付かず沼直行急勾配の滑り台に乗せられていた。

賢く心優しいエリックと、高圧的でプライドの高いアダム。役者さんは続けてみた作品のギャップがすごければすごいほど沼落ちの危険性が高まるなとはよく思うけれど、一人二役の双子はずるい。どう考えてもずるい。しかも双子という役の特性上、一度はけて衣装替えしてから違う役に……ではなく(それもあるけど)、ベッドを間に挟んで右に左に移動するだけでもう一方の役に入れ替わったりする。ギャップの往復ビンタみたいなをことされる。間数秒で役が入れ替わり、しかもその役で歌い出す。そのあまりの器用さと振り幅に完全に殴られた。

しかも私はアダムみたいな役に弱い。弱すぎるぐらいに弱い。もちろん現実にいたら全力ダッシュで逃げるし全然関わりたくないけど、物語の中にいるああいう役はめちゃくちゃ美味しい。もし当時現場にいたとして、あの冷たい目で蔑むように睨まれたら多分0.05秒で落ちていた。しかも中の人があんなにポカポカしてるからギャップがとんでもない。何なんだよ、そりゃ無理だもう落ちるわ、となかば半ギレで円盤を観ていた。(こう考えると、私は落ちる直前によくキレているらしい。「そんなのはずるいじゃん……?!?!」と怒っている。怒りながら沼の底に直進している。身に覚えがありすぎる。)

 

まぁ、とはいえラジオを聴いて「私この人……好きだなぁ………」と毎週思っていたのが、今浦井さんを好いている感情とほぼ変わらないので、結局のところ私はラジオの浦井さんで沼落ちしていったんだろうなぁ、というのが現時点での解釈ではある。そしてシャーロックで沼の底に着地したことを自覚させられ、王家の紋章のDVDもカートに入れて即購入、気付いたらファンクラブのカードが家に届いていた。我ながら沼落ちを自覚した後の仕事は本当に早い。

 

 

 

そんな浦井さんを「推し」として初めて見に行ったのが、2020年8月、シアタークリエで上演されていた『メイビー、ハッピーエンディング』だった。

初めてファンクラブでチケットを取って観に行ったmy初日、クリエの座席に着席した瞬間もう既に泣きそうだったのを覚えている。

天保十二年のシェイクスピアを最後に観たあの日以来、初めて入る劇場、初めて座る座席。座った瞬間幸せでいっぱいになってしまった。「あぁ、ようやくまた観にこれたんだ」とも思ったし、天保を初めて観た時に思った「浦井健治さんという役者さんの違う役のお芝居をまた観てみたいな」も、浦井さんを好きになってから思い続けていた「浦井さんにまた会いたいな…」も、ようやく叶うんだ、と思ったら嬉しくて幸せでたまらなかった。と同時に半年間の色んな記憶がぶわっと蘇って、「あーなんか本当に、生きてて良かったな……」と思った。ようやく報われた…というとなんか違う気もするけれど、ここまでよくがんばりましたね、のご褒美を貰えたような気がした。始まる前で既に十分満たされた気持ちになった。

 

そして、役としてだけれど、数ヶ月ぶりに浦井さんが目の前に現れたとき、ものすごくなんか、ホッとした。

浦井さんという人を見て、安心した。で、安心しながら、安心している自分に少しびっくりした。「私、この人のこと見ると安心するんだ」と思った。もちろんファンクラブに入っているぐらいなので既に十分好きである自覚はあったし、それからだって何度も「あー私この人のこと、すごく好きだなぁ」と思ってはきたし、でも、ひさしぶりに見た瞬間に最初に湧き上がるのが「安心」なんだなと思ったら、あぁ、私は思っているよりずっと、この人のことがものすごく好きなのかもしれない、と気付いた。

見た瞬間感じた「安心」の中身が、浦井さんが無事に健康でいてくれて、再び舞台の上に立てている姿を見られた、という安堵の気持ちもあったけれど、それ以上に、私自身が浦井さんという存在自体に対して、安心感を覚えている感覚が強かった。家に帰ると安心する、旧知の友人に会うと安心する、馴染みの店に行くと安心する、それに近い感覚で、浦井健治という人自体に安心した。「あぁ、浦井さんだ……やっと浦井さんに会えた……」と思って泣きそうになった。いや普通に泣いてた。あの閉ざされていた春の時期、ずっとこれが続いていくんじゃないかと錯覚してしまうぐらい薄暗い日常を、ずっと照らしてくれた太陽みたいなこの人に、ようやく会いに来れたんだ、と思ったら幸せで仕方なくなった。「あぁ私、この人のことがすごく好きだ」と思った。

 

たまたまその時の作品がメイビーだったのも良かったな、と今になって思う。メイビー自体がものすごくあったかいお話で、結末こそ切ないけれど、人の純粋な根っこの部分の、かわいらしさとか、真っ直ぐさとか、温かさとか、そういうものってやっぱり素敵なものなんだな、と素直に思えて、観ている間も観終わった後も、自然と心が緩まる作品だった。何かに愛を持ったり、誰かを大切に思ったりすること、その記憶を持っていることは、生きていく上でものすごく大切で、それがその人の心の栄養分になってその人を生かしていくのだな、とか、素直にストンと思えるお話で、それは私が浦井さんを見ていて感じる感覚にすごく近いところにあるような気がして。

浦井さん自身が、いつでもたっぷりの愛情を溢れさせている人で、いつでも真っ直ぐな想いを持って、それをそのまま言葉に乗せる人だから、私はいつも浦井さんを見ていて、あぁやっぱりそういうものって素晴らしいものなんだよな、と思えることが多い。ねじれた言葉とか、斜めから見た視点とか、そういうものが現実的で、真っ直ぐで純粋なもの、明るいもの、善いもの、シンプルなものは、簡単で安直だとか偽善だとか揶揄されがちなところがある社会で、それでもやっぱり温かいものも、真っ直ぐなものも、純粋なものも、優しいものも、きれいなものも、絶対にすばらしいものなんだと心から思わせてくれる浦井さんの在り方や言葉が私は大好きだ。

浦井さんを見ていると、真っ直ぐな自分の中にあるそのまんまの言葉を紡いだり、伝えたり、誰かの善を信じてみたり、そういう人間の根っこの純粋さみたいな部分を私は大事に思っていいんだなと思える。これはメイビーの感想でも当時書いた気がしたけれど、素直な人を見ていると気づいたら自分も素直になっているし、温かい人を見ていると自分の温かい部分を思い出せる。メイビーがそういう作品であったのと同じように、私にとって浦井さんはそういう人だし、そういう浦井さんを見ていると本当に、びっくりするぐらいに安心する。

 

あと、これは好きになった当初の頃からずっと思っていることだけれど、浦井さんという人間が存在しているだけで、それを知っているだけで、なんというか、この世界への安心感みたいなものがぐっと底上げされるな、とよく思う。もちろん浦井さんが世界全体を支配しているわけでもないし、浦井さんが私の日常に直接関わってくることなんてない(それはなくていい)し、物理的に何がどう変わるなんてことは当たり前だけどない。

ただ、この世界に浦井さんという人がいる、ということを知っているだけで、世界そのものに安心できるというか、世界の体温が一度上がるような感覚がある。「あぁ、こんな人がいたんだ」「こんなにあったかくて愛情に満ちている人が存在するんだ」「この世界にはこんなにも力強い光を放ってくれる人がいるんだ」と、私は何度も浦井さんに思っていて、それに何度も救われている。それは多分、あのラジオを聴き始めた2020年の春からずっとある感覚で、浦井さんの姿を見ていても、ラジオ越しに声を聴いていても、文字として彼の言葉を受け取るときも、彼の歌を聴いているときもそうで、その媒体がなんであっても、私は浦井さんという人にいつも、ものすごく安心する。本当に太陽みたいな人だなぁ、と何度も思う。いつだってぽかぽかの陽だまりをくれて、めちゃくちゃどでかい愛を惜しみなく降らせてくれる。分け隔てなく万人に温かさを与えてくれるお日様のようでもあり、どんな闇の中でも呑まれない力強い光のようでもあり。

 

 

20周年コンサートの時にも、ものすごく強くそれを感じたのを覚えている。あの会場全体を余裕で埋め尽くすぐらいのとんでもないパワーと、その会場内にいる人達全部に渡しても余るぐらいの愛情をたっぷり持っている、そのポテンシャルの計り知れなさというか、あらゆるエネルギーの保有量の多さにあらためてびっくりしてしまったし、あらためて大好きになってしまった。あの頃がちょうど、好きになり始めて1年ぐらいだったと思うけれど、「1年前に沼に転がり落ちた私、ほんとうに大正解!」と帰り道ほくほくした気持ちで帰ったのを今も覚えている。その勢いであのブログを書いたら、より一層愛が募って家の中で幸せで溶けそうになった。

浦井健治 20th Aniversary Concert - 140字の外

 

 

これは今でも自分で読み返しては幸せな記憶に浸ったりするし、やっぱり素敵な人だなぁと再確認したりもする。たまたまだけれど、私があそこに書いたものは円盤には入らなかった部分も多くて、勢いで書き残しておいて本当によかったなぁ、と今もよく思う。あんなに幸せな空間の記録がこの世界に何も残らないなんてさみしい。書き残してくれてありがとう当時の私。

そして、それまでは基本的に自分から浦井さんを好きな方をフォローしたりだとか、話しかけてにいったりだとか、いいねしたりだとかもせず、ただたまに覗きにいってみてはひっそり観察をする……という、存在を認識されないような、いわばROM専スタイル(とはいえ一人でずっと喋ってはいる)を続けていたのだけれど、あのブログは思いの外多くの方が読んでくれたようだったし、それが誰かの記憶の補完になったり、あの場に行けなかった方の想像の元にでもなっていたのならそれはすごく嬉しいなぁ、と当時すごく思った。あのブログを書いたことで繋がれた方もいて、それはご縁だなあと思うし、何かの愛をたっぷり乗せた言葉を紡ぐことはやっぱり、素敵な循環を生むのだな、と思う。私は文章を書くことも、好きなものや人について喋ることも好きで、いや、好きというよりはもっと、寝るとか呼吸するとかご飯を食べるとかそういうところに近い部分にそれはあるので、これからも書いていきたいし、書くんだろうなと思う。

 

 

 

そこから更に一年が経ち、ちょうど一年後の2022年の4月にはFCコンサートにも行った。その時に思ったのは、すっかり「浦井さんのことを好きでいる私」が定着してきたな、ということだ。約2年、短いけれど、その間365日×2の日常を自分が過ごしてきたと考えると、長いような気もした。私の構成要素の一つとして「浦井健治という人を好きな自分」がどっしり存在するようなっていた。1年前の20thコンサートの時点では、好きになって1年弱は経っていたもののまだ少しソワソワしながら会場に向かっていたけれど、FCコンの時にはもうすっかり愛情過多でろんでろんに溶かされる心構えを持って席に座っていた。浦井さんの存在も、浦井さんを好いている自分の存在も、あの頃よりも自分の中にどっしり居座っている。私の日常の中にすっかり浦井健治さんという人は溶け込んでいるし、浦井さんを好きな自分の自我は、すっかり私の中に馴染んでいる。

 

舞台上で役として歌う浦井さんも、お芝居をする浦井さんも大好きだし、もし「浦井健治」として生きているだけだったら見られなかった浦井健治という人の肉体を持った別の人の人生を見られることは、本当に幸せだなと思う。浦井さんが役者という職業についていて、それを今この時代にちょうど生きて見られている奇跡にはめちゃくちゃ感謝している。

ただ、なんだかんだで私はラジオの浦井さんに惹かれたところから始まっているので、やっぱり「浦井健治」として話している浦井さんの姿を見ると、すごくほっとする。「あぁそう、私この人がすごい好きなんだよなぁ」と思う。ふわふわした姿も、ギャハギャハ笑う姿も、幸せそうに嬉しそうにこちらを見ている姿も、さりげなく周りに気を配る姿も、とんでもなく格好良い姿も、相手を真っ直ぐに見つめて話を聞く姿も、なんかこんなに全部好きで大丈夫だろうか、と思うぐらいには未だに結構全然全部好きだなと思う。画面越しでも同じ空間にいても同じように飛んでくる真っ直ぐな言葉も、FC向けに書かれるダイアリーや会報誌の、より丁寧にこちらを向いて届けてくれる真摯な言葉も好きだ。

 

そう、言葉と言えば、浦井さんはよくカテコで観客の「???」を生む挨拶をされたりするけれど、何というか、多分浦井さんの言葉は行間に色々入ってることが多いのだろうな、と思う。天然案件な時もあるし、伝えたい内容が恐らくABCDEだとして、その中のACEだけ言葉にするので聞き手が置いてかれている、みたいなパターンもあるのだと思うけれど。

ただ、インタビューでつらつらと淀みなく話す姿を見ていると言語化が苦手な人では全くないのだろうなと思う。浦井さん、詩みたいな言葉を書く人だなぁ、とダイアリーを読んでよく思うのだ。言葉と言葉の間に言語外の情報が沢山入ってることが多い。読んでしばらく経ってから頭の中で点と点が繋がって「あ、そういうことか」と時差で気が付いたりする。言語化されていない部分まで受け取れると、すごく深くまで浸透する。

頭の回転が速い、とよく人から話されているのを聞くけれど、多分言葉もそれなんだろうな、と思う。本人の頭に100ぐらいあることが15ぐらいの言葉になって出ていて、それは言語化とかの話でもあるのだけど、そもそもその前に浦井さんの思考がかなり高速でものすごく大量なんだろうな、と。故に時に言葉が追いついていない時はあるのだろうけど、インタビューで静かに淡々と語られている文章を読むと、なんというかとても頭の良い人なんだろうなと度々思う。この人、想像できないぐらい思考のスピードが速くて、思考の層が多いのだろうな、と思う。頭の良さも色々と種類があるだろうけれど、浦井さんはとにかくすごく細い思考の糸を高速でヒュンヒュン縫っているみたいな頭の良さを感じる。めちゃくちゃ細い糸のモンブランみたいな(例えはそれでいいのか?)。ただ、その一部を言葉にすることも多いので、余白はこちらで読み取らないといけない、みたいな時もあるのだろう。全てを説明する文章というのも野暮なもので(自分はやりがちだけど)、私はダイアリーで書かれる余白の多い浦井さんの言葉が、豊かで好きだ。その言葉の中にあるもの、外にあるもの、どれにも浦井さんの誠実さが詰まっていて、いつでも嘘がなくて真っ直ぐで、気持ちが沈んでしまう状況下でも、必ずどこかに光を混ぜてくれる。光を信じさせてくれる。喋り言葉にしても書き言葉にしても、浦井さんの言葉が私はとても好きだ。浦井さんの人柄がそのまんま滲んでいるようで。真っ直ぐで濁りがなくて、心に馴染む。受け取ると心の温度がふっと上がる。

 

 

「必ずどこかに光を混ぜてくれる」と書いたけれど、浦井さんはやっぱり、底知れない光の持ち主だな、と思う。愛の保有量もすごいけれど、光の保有量もとんでもない。

上でも何度も書いているし、これからも言い続けるのだろうけど、私にとって浦井さんはやっぱり太陽なのだ。とんでもなく大きくて、強くて、眩しくて、その光を分け隔てなく万人に降らせる太陽の光そのものだと思う。ファンタジックな表現になってしまうけど、この人はなんか、世界中が闇に包まれていても、絶えることなく光を発し続けることができるぐらい、光が大きくて強い人だ、とたびたび思う。もちろん、こちらの知らない部分ではきっと色々あるのだとは思うけれど、見せないでいてくれる部分が沢山あると思うけれど、こちら側にはいつも必ず光を届けてくれる強さのある人。その在り方を称賛してしまうと「ファンの前では弱いところを見せず綺麗な部分、美しい部分のみを見せるべき」みたいな、私が非常に嫌いなプロ論押し付けファンみたいな表現になってしまいそうで書き方が難しいのだけど、それでも、地の底まで気分が沈んでしまいそうな状況の中でも必ず光を見せてくれる、そちらを向かせてくれる浦井さんの在り方に私はとても救われることが多かったから、そう在ってくれることにとても感謝しているし、どでかい敬意を持っている。とはいえ無理をして欲しくないとは思う、思いつつも、そんな心配さえも失礼な気がしてしまうぐらい、何というか、浦井さんの光は大きくて、どっしり力強くて、見ていてどこまでも安心するのだ。私は浦井健治という人を見ているととても安心する。これはもうずっとそうだ。好きになり始めたあの頃から、今の今まで、浦井健治という人の安心感はすごい。

 

 

そんな浦井さんが「推し」になったことは、私にとってものすごく、支えになったな、と思う。今もずっとなっている。私はあまり陽な人間ではないので、普通に日常を過ごしていてうっかり目の前の諸々に幻滅したり、やんわり失望したり、淡々と絶望したりもする。それ自体はただの性質なのでそれを悲観もしないけれど、そういう私にとって、うっかり真っ暗闇に顔面を浸してしまったような時に、確実に「この人は大丈夫だ」と信じられる、大きくて温かい、安らげる光のある場所を知っているというのは、すごく救いになるし、心の拠りどころになる。心の支えとか、拠りどころとか書くと、それは時に危ういのではないか、それは依存なんじゃないか、と脳内の気難しい保険担当が顔を出したりするのだけれど、浦井さんは不思議と、あまり他者に依存心を持たせない人なような気がする(少なくとも私にとっては)。太陽が遠くで光を放っているように、浦井さんもまた私にとって身近な存在という感じはしないし、こちらへの愛情はざぶざぶに注いでくれるけれど、それもまた陽だまりのようなもので、全身に浴びせてくれる太陽光みたいな、心と身体にチャージされる栄養分みたいな愛情なので、隙間に入り込んでくるようなものではないというか。太陽に縋り付くような心情は生まれないように、浦井さんにもまた、そういう気持ちはあまりない。ただただ温かくて、力強くて、優しい浦井さんを、安心して好いていられる。それが心地良い。

 

 

 

 

さて、

この「推しが増えた話」はタイトルを③としているように、①と②が存在していて、今見たらどうやら、どちらも2020年9月に書いていたらしい。①は推しが増えるだなんてまるで思ってなかった話、②は浦井さんを推すまでのプロローグみたいな話だったと思う。本編に入るまでにずいぶんかかってしまって、もはや推しが増えてからだいぶ時間が経ってしまった(その間にもう一人増えた)。

というのも、何度か書こうとは試みたものの、時間が経てば経つほど、好きでいる時間ものびて、また書きたいことも増えたり変わったりするので、なかなか続かなかった。時間が経てば思考も感覚も変わるし、今の感覚とずれるものに文章を繋げるのはどこか気持ち悪かったので、何度か書き直しては、また放置を繰り返し、下書きの数だけは増えていく一方、中々閉じられなかった。

 

私が初めて浦井さんのお芝居を観るために劇場に足を運んでからも、もう3年以上経つ。私は初観劇が天保十二年のシェイクスピアなので、2020年2月。そこからここまで色々な舞台作品に出会ったけれど、元を辿れば浦井さんが色んな作品に連れて行ってくれたお陰なんだよなぁ、と思う。

そもそもが割と雑食なのもあるかもしれないけど、今、私が特にこういう作品!とかこだわりなく「なんか楽しそうかも〜」の思いからふらっと構えることなく劇場に向かえるのは、浦井さんが色んな観劇体験をくれたから、というのは大きいと思う。色んな世界を見せてもらえたし、色んな浦井さんを見せてもらえたし、色んな楽しみ方を教えてくれた。観始めた頃はまるで深海みたいだなと思っていた演劇界隈(舞台を主戦場とする役者さんを殆ど知らなかったので、知ろうと思わなければ知ることのできない、でもそこには未知の楽しい世界が広がっている、という意味で深海生物みたいだなと思っていた)を、浦井さんという潜水艦に乗って潜って探検している、みたいな気分だった。少しずつ、浦井さんの関わる作品、関わった作品、共演した役者さん、その繋がりや作品の歴史を知っていきながら、深海の地図が見えてくる。日生劇場から始まり、クリエ、帝劇、新国中劇場、小劇場、トラム、青年館、いろんな劇場にも連れて行ってもらえた。色んな作品、役者さん、空間、歴史、音楽、物語。私の知らなかった深海は深くて広くて楽しくて、潜るたびに、進むたびにもっと先を知りたくなった。その深海の案内人が浦井さんで良かったな、と思う。今はもう一人でも楽しく探検できるようになったけれど、浦井さんに色んなところに連れて行ってもらって、その安心感の中で色んな景色を案内してもらえたからこそ、その美しさを知れたからこそ、好きになることができたのだろうな、と思っている。どこに向かえば楽しいだろう、どこに広がってるんだろう、と今は一人で色んなところに向かって行ける。それは多分、「ここに帰ってくれば大丈夫だ」と思える、海の中の住処を浦井さんが作ってくれたからだと思う。とても感謝している。

推しができると世界が広がる、と初めて推しができた時に思った。知らなかった場所に向かい、知らなかった世界を知り、知らなかった感情を味わい、知らなかった自分を見つける。推しと出会わなければ知らなかった世界を、私は今沢山知っているのだな、と思う。浦井さんに出会えたことで、浦井さんの「今」を追い続けてみたことで、私が知れたこともまた、本当に沢山ある。上にも書いたけれど、数年前には「これからは舞台も少しずつ観てみたいな〜」ぐらいだった私が、これだけ観劇が好きになっているのは確実に浦井さんのお陰だし、私は舞台を観ているときの自分が好きだから、新しく好きだなと思える自分に出会えたのもまた浦井さんのお陰だ。

 

 

人生のターニングポイントなんて後から振り返れば色々あるのだろうけれど、浦井さんに出会えて、たまたまラジオを聴いて、そして救われて、気付いたら好きになっていたあの地点は確実に、「今の私」に辿り着くための大きいターニングポイントだったのだろうなと思う。あの時もし天保十二年のシェイクスピアを観ていなければ、ラジオを聴き始めていなければ、聴き続けていなければ、この3年間の中で私が見てきたものはごっそりなかったかもしれない。ドラマ『カルテット』の台詞じゃないけど、人生をやり直すスイッチがあったとしても、私は今の自分がいる地点が何だかんだ好きだし、恐らく押さないだろうと思う。そりゃ「あの時こうしていれば」みたいなことは普通に山ほどあるし、あの時間には二度と戻りたくないなみたいな時期も全然あるし、何かもう少しどうにかこうにかならなかったかなとか、色々思いはする。全然するけど、結局何処かの地点を修正したことで今の自分に辿り着けなくなってしまうのなら、多分私はそのスイッチは押せないのだ。私は今の地点を手放せないし、手放したくもない。

そう思わせてくれる大きな理由のひとつとして推し達は、私の過去と今にいてくれる。仮に「もっと良かったかもしれない世界線」が隣にあったとしても、私は偶然に偶然が重なって出来た今の推しへの出会い方も、そこから推しを推してきたこれまでの時間の積み重ねも、今持っている気持ちも1ミリもなくしたくはないから、多分結局この世界線を選ぶ。そう思えるのは、数年分振り返っただけでも楽しかった時間、愛おしかった時間、これからも記憶に残り続けるだろう大切な時間が沢山思い出せるからで、それは多分、すごく幸せなことなんだろう。

最初に「推しを推している時の自分は好きだと思える」と書いた。何かを好きでいることが、その何かを好きでいる自分を好きにさせてくれる。私はその時間にも、その自分にも救われることが多い。そしてもしかしたら、上に書いたようなことは、推しは私の人生すらも肯定させてくれる、ということなのかもしれないな、と思う。今ここの地点に辿り着けて良かったと思えるのは、それまでの全てを含んだ、自分の辿った道筋まるごとの肯定でもあるから。大袈裟かもしれないけど、でも実際そうなんだよなと思う。あの地点でたまたまそこに向かった私、あの地点であの人に出逢った私、あの地点であの作品に出逢った私、そしてそれを経て今に辿り着いた私。何かが欠けていたら今のこの地点にはいないのだと思うと、なんかそれってすごいことだよな、と純粋に思う。別にだからといって、これまでの道のりが全部愛おしい、とかそんなことにはならないけど、それでもやっぱり、「まぁ、悪くないじゃん?」と思わせてくれるのだから、すごい。自分のここまでの時間を、見てきたものを、感じてきたものを肯定できるのは、心にとって、ものすごく健やかなことだと思う。

 

 

天保十二年のシェイクスピア③ - 140字の外

これを書いてからももう3年が経つ。

天保十二年のシェイクスピアが中止になったあの時からは4年。私の中であの時間は「"あそこ"にはもう二度と帰れないのだろうな」という幻みたいな時間として記憶に刻まれている。ものすごく楽しくて、愛おしい時間だったからこそ、それが突然終わってしまったあの時から、あの時間は夢だったんじゃないだろうか、みたいな感覚が自分の中にずっとある。あの地点であらゆるものを失い、あの境界線にあらゆるものを置いてきてしまったような。そして、あの日からぐるんと変わってしまった、あの頃からしたら「非日常」な「日常」を歩き続けて、そこからもずっと良くも悪くも変わり続ける日々の中で、多分この先「変わる」ことはあっても「戻る」ことはないのだろうな、ということをある程度経ってからは思うようになった。そもそも世界は不可逆で、戻るなんてことはあり得ないのだけど、それでもあの頃は、「戻る」ことに光を見ていた人がたくさんいて、社会も「戻る」ことを目指していた。けれどそのうち、「戻る」も「変わる」もぼんやりして、非日常も日常もぼんやりして、何もかもが行ったり来たりするうちに、よく分からない世界に少しずつ、薄れた毒に慣れるように、甘い香りに鼻が麻痺していくように、そうやって世界の輪郭がぼやけていって、気の遠くなるような長い時間があったような気がする。この数年は時間感覚が曖昧だ。そこから更に今は、状況も、人も、確実に大きく変わった。なんかどうやらこの世界は"元に戻った"ことになっているらしいけれど、今も私は、"戻った"とは思わない。

 

 

世界は戻りはしないし、そもそも私たちは戻れない。

けれど、戻ることはなくあの地点から今まで、変わり続けていく日常の中で、「あの地点」には戻れない「今」の上で、私は浦井さんを好きになれたし、そこから今ここにくるまでに、好きと思えるものにたくさん出逢うことができたことは、確かなのだ。あの頃の私が知らなかった好きなものが、今の私の世界にはたくさんある。途切れることなく時間は続いていて、あの地点にはもう二度と戻れないけれど、それでもよく分からないまま、よたよた歩いてきたこの時間の上で、私はなんだかんだここまで、ちゃんと道を作れて、歩いてこれたのだな、ともまた思うのだ。

あの時、世界の回線が全てぶつりと切れて、世界が止まってしまったような、灯りが消えてしまったような暗さの中で、浦井さんは紛れもなく私にとって光だったのだと思う。たった少しの時間で私の心に灯りを分けてくれて、今この瞬間の足元に灯りを灯してくれて、見えないはずのこの先の道まで照らしてもらえたような気がした。まるで先の見えない、未来と今とを繋ぐ線すらぷつりと切られてしまった、どこからも切り離された孤島にいるような不安に埋もれていたあの時、世界を、未来を、かろうじて信じさせてもらえたことに、そこに繋ぎ止めてくれたことに、本当に私は救われたのだと思う。

 

 

そこが始まりだった。浦井さんを好きになったことはあの地点から始まっていて、浦井さんを好きになってからの時間を思い返すことは、あの時から今ここまでにくるまでの時間を辿ることだった。全てがぐるんと変わったあの時、あれ以前とあれ以降の境界線のようなあの時、そしてその直前の、あまりに楽しくて幸せだった天保十二年のシェイクスピアを観ていた束の間の幻みたいな時間。浦井さんを好きになったことを、好きでいた時間を振り返ることは、「あの時」から今までを思い返すことで、それは多分、私にとってはあまり容易なことではなかったのだと思う。

ドラマ逃げ恥のSP版が放送された2021年の元旦、正直2020年を振り返るにはまだキツイな、と見ながら思った記憶がある。それは多分、今この地点もその先もまだまだ読めない時期に、異様だった1年間を振り返る心持ちが、余裕が、あの時の私にはなかったからだと思う。

それからまたしばらく時間が経って、この1年ぐらいでようやく、客観的にこの数年間のことを見られるようになった気がする。それは今の状況がどうということではなくて、多分、時間の問題だと思う。あの始まりからだいぶ時間が経って、この数年間から少し距離を取れる位置に自分を置けるようになった。

だから多分、これをようやく書けたのだと思う。この数年間で失われたものも、戻れないあの頃のことも、取り戻せない空白の時間も、けれどその時間の中で出逢えたものも、好きになれたものも、その中にあったからこそ残った大事な記憶も、全てセットだから。こんな状況になったからこそ好きになれたとか、出逢えたとか、悪いこともあったけど良いこともあったんだとか、そんなことは言いたくはないし言わないし言ってやらないけど、それでもこの数年間の中で、それは全部同じ時間の中にあったものだから。あの時からここまで、この世界線を生きてきた私には、全部その中にあったものだったから。だから全部丸ごと抱えて、今の地点から歩いていくしかないんだよな、と思う。当たり前なんだけど、でも、そう思えるのは多分、その時間の中に愛おしいと思えた時間がたくさんあったからなんだと思う。

 

 

この先も、世界は止まらないし戻らないし、変わり続ける。どんなふうに続いていくのか、続いていかないのか、いつ何が起きてそれがどう転んでいくのか、何もわからない。相変わらず分からないまんまで、ひとつ分かったと思ったらまた分からないが増えていく。はあ、わからなくて怖い、と心の奥の方でぼんやり、常に思っている。思っていても仕方がないから奥にしまうけれど、それでもやっぱり、どこかにはずーっと居る。たびたび、たちの悪い諦めやぼんやりとした絶望感に引っ張られそうになる時もある。

 

でも、少なくとも私には好きなものがある。好きな人がいる。

観たいと思えるものがあって、会いに行きたい人がいて、楽しみにできる未来がある。それは、どこを歩いているのか分からなくなるような日々の道標になるし、うっかり暗さに持っていかれそうな時、目指すべき灯りになる。あの人がいる。あの作品がある。観たい、聴きたい、会いたい。そうやって歩く先に少しずつ用意された光が、私にとっては日常の希望になる。この世界に見たいと思う景色があるということ、そして会いたいと思える人がいるということは、少なくとも私にとっては、日常を続かせていくための力になる。

推しは私の日常には現れないし、関与しない。私の人生とは離れた場所で生きている人で、遠くで光っている人で、けれど同時に、私の心の内側に棲んでいる人だ。時に私の人生の推進力の源になってくれるし、ぐるぐると回り続ける日常のサイクルを乗りこなすためのエネルギーをもたらしてくれる。それはやっぱり、すごいことなのだ。

 

 

 

 

今月もまた、毎週日生劇場に足を運ぶ日々を過ごした。あれから4年。浦井さんが出演するカムフロムアウェイを観に、私の一番好きな劇場に足を運ぶ。私の始まりの地で、もう一人の推しに出逢った場所でもある。そんな劇場で、なんとその二人が共演してくれるというのだから、やっぱり世界は時々私のことを甘やかしてくれている気がする。

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あの日、あの時、あの瞬間、たまたま出逢った人。舞台に立つ人からすれば、客席にずらりと並ぶ人たちは数えきれないほど沢山だろうけれど、舞台を客席から観る私とて、それはまた同じなのだ。たまたま、この日、この劇場で、この作品の、この役の、人に出逢った。もし仕事が忙しかったら?もし予定がずれていたら?もし気分が乗らなかったら?もし天気が悪かったら?たった少しの出来事でそのチケットは私の手元にはなかったかもしれない。あったとしても"その日""その回""その瞬間"を観ていなければ、その出逢いを掬うことはできなかったかもしれない。私たち各々の持つ"好き"は本当に、あらゆる偶然の集結なのだ。そう思うと、人の人生が交わることは、そしてそれが特別な点になることは、本当に奇跡的だ、と思う。

カムフロムアウェイもまた、この世界の中に無数にある中の、とある島に集まったいくつもの意味ある"点"の話だと思う。本来交わることはなかったかもしれない誰かと誰かの人生が、たまたまその場所で交差した。その背景には痛ましい事件があり、あの時あの島にいた人の中にも人の数だけそれぞれ異なる状況があり感情がある。この物語が描く希望や温かさは確かにそこに存在した真実で、それは今を生きる私たちにとっても道標になってくれる光でもあるけれど、あの時あの島にあった出来事でさえ、きっと本当はそれだけで語れるものでも、包めるものでもないのだ、ともまた思う。それは思わないといけない。きっとこの作品はそんなことは百も承知の上で、それでもまとめて包んで、誰の思いも蔑ろにすることなく、そのうえで確かにそこに存在した希望を置いてくれている作品だとも思うけれど。

 

ダイアンとニックが自分達の出逢いについて複雑な思いを語る場面、私は彼らのあの感情をものすごく自分と地続きに感じたし、普遍的なものだと思った。彼らの出逢いは"こう"ならなければ存在しなかった。この世界のすべては、何かがそう転がって、起きてしまって、たまたまそうなったから生じている。私たちは自分の意志で人生ゲームのボードの上を歩いているつもりでいる(時につもりにされている)けれど、そのボードは突然傾けられたり、ひっくり返ったり、予想もつかない動きをする。その時私たちはあの小さなピンのように軽く弾き飛ばされて、コロコロと転がって、なすすべもなくどこかに転がりついたりする。自分の意志の枠外にある大きな何かは、いとも簡単に私たちを吹き飛ばしてしまう。そういう意味の分からない、普通の顔してその実ルールがめちゃくちゃなこの世界で、私たちは気付いたら存在していて、生きていて、けれどそんな中で時に大事な何かに、誰かに出会うのだ。

その過程にはきっと沢山の出来事が存在していて、それは自分から見えるものもあるし、認識すらできないものもある。でも、その時、その場所で、"その時の私"で、何かや誰かに出逢えたのならば、それが自分にとってありがたく価値のあるものだと感じられたならば、絶対に、私たちはそれを大事にして良い。身に起きたすべてに意味を見出す必要はないけれど、その時自分の心が動いたのなら、視界が色付いたのなら、世界が緩まったのなら、それらすべてが必然のように思えたのなら、それはやっぱり、自分にとって"意味ある"ものだったのだ。

 

 

私があの時浦井さんに出逢えたのは、この世界であらゆるものがコロコロ転がって、私の人生で私が転がして、そして何かに転がされて、沢山の偶然と、もしかしたら必然だったかもしれない何かとが無数に重なって、たまたまそこに"点"が置かれたからだ。私はその交わりを、重なりを、あの時もこれまでも、今もずっと、ありがたく思っている。観られて良かった。聴けて良かった。あなたの存在を知ることができて良かった。

これからも私は変わり続けるし、否応なしに変わらされ続けるし、それはきっとこの世界も、そしてそこに生きる浦井さんも同様で、というか誰一人として例外なく、私たちは同じところにはとどまれない。私は好きな人やものに関して語る言葉に少しでも嘘が混ざるのがいやだから、これからもずっと好きでいるだろう、とは書けない。先のことは分からないし、私は自分が分からないから。けれど、あの時からこれまで、私は浦井さんのことを好きでいられて幸せだったし、好きになれて良かったと心から思う瞬間が沢山あったし、そして今も幸せだ。あの瞬間に浦井さんのことを好きになれたからこそ今の私がいて、今の私は浦井さんのことが未だに好きで、それは確かな事実で、私はそれを、とても愛おしく思っている。私の人生を満たす大事な頁のひとつで、それはけっしてなくならない。

 

 

だから私は今日も、この変わり続ける不確かな世界の中で、安堵の光みたいなあの人を、安心して好きでいようと思う。世界も自分も変わったって構わない。不安定でも波があってもそれでいい。どんな瞬間も、今の私がすべてで、私は今にしかいられない。だったらその瞬間、好きなだけ好きでいたらいい。分からないもので溢れているからこそ、好きだと分かる人に会いに行ったらいい。その時私は、自分のことも、この世界のことも少しだけまた好きになれる。

今日も私は、浦井さんのことが大好きだ。