140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

天保十二年のシェイクスピア③

2020年2月28日。

私が天保十二年のシェイクスピアを最後に観に行く予定だった日。

 

* 

2月8日、開幕したその日から楽しみで、早く観に行きたくて仕方なかった。推しが数年ぶりにやるという舞台を自分が観に行けることも、いつも画面の中で見ている推しのお芝居が生で見られることも、そもそも初めて舞台というものを観に行けることも、全部嬉しくてたまらなかった。すべてが未知で、自分がそこで何を感じて何を思うのか、全く想像がつかなくて、だからこそ、私はあの時期、ひょっとすると人生で一番かもしれない「楽しみ」をずっと大事に大事に抱きかかえていた気がする。

 

そして初めて観に行ったあの日、その「楽しみ」を遥かに超えるぐらいの「楽しい」で身体中が埋め尽くされて、私は帰りの電車も、家についてからもずっと楽しくて仕方がなかった。何かを見て、こんなに楽しいことがあるんだと驚いて、そんな風に自分が感じられたことが嬉しくて、そしてやっぱり楽しくて、身体の中の全細胞がはしゃぎ回っていたと思う。

私にとっての初日、2月13日。当たり前のように、自分が観た舞台がそのまま終わりまで続いていって、終わってしまうことを惜しく思いながらも幕が閉じていくんだろうと思っていたし、自分が最後に観に行く日にはきっと「あぁ、これで最後か」なんて淋しくなりながらも、自分にとっての最終日を堪能するんだろうなと思い込んでいた。

思い込んでいた、と書いたけれど思い込んでいたとも思っていなかった。初めて舞台に観に行く身でも、舞台の幕は開いて、閉じるものだと勝手に思っていた。そういうものだろう、というもはや意識の外にある根拠のない安心感、信頼感。今考えるとなんとも能天気なものだけれど、日常の中にいる人間なんてそんなものだろうとも思う。その頃の私はまだ非日常が始まる予感なんて微塵も感じていなかった。

2月後半、だんだん雲行きが怪しくなってくるまで、私はただあの作品の面白さに、それを観れる嬉しさに浸っていた。

 

2月27日、もうその日が最後になるかもしれない、という空気が薄らとあった。

観たい、観れると期待したい、でも観れないかもしれない、でも勝手にこちらが諦めてしまうのは失礼だろう、何より私が最後の観劇を諦めたくない、でも状況を考えれば中止する可能性の方が大きいかもしれない、でも、それでも観たい、ちゃんとこれが最後だと思って観たい、千秋楽まで走り抜けて欲しい、せめて、せめてあと2日。

あの日、発表されるまで、頭の中ではずっと、もう一度観たいと願う感情と現実的な可能性の低さを(考えたくなくても)考えてしまう思考を行ったり来たり、留まることなくずっと往復していた。諦めてしまうには楽しすぎたんだと思う。観れないかもしれないな、だなんて冷静に状況を眺めることも、その可能性を自分の中ではっきりと認識するような覚悟を持つこともできなかった。

 

中止が発表されたときは、ただただ悲しかった。普段、大体良くも悪くも事前に予防線を張ってしまうため、がっつり落ち込む、がっつり悲しむということがあまりないので、「悲しいってこんなに悲しいんだな」と、ひどく単純なことを思った。喜怒哀楽の真ん中二つでいったら、私は普段怒を感じる割合の方がずっと多かったんだなと気づいた。

悲しいは、こんなに悲しいのか。自分が観れると信じ込んでいた「あと一回」がもう来ないこと、天保十二年のシェイクスピアが終わらないまま終わってしまうことが、ただ悲しくて仕方なかった。

 

ただ、それでも2月28日、公式HPにあげられた高橋さんのあの挨拶を読んで、私はものすごく救われたことを覚えている。

「僕たちがやらせて頂いている「お芝居」というものは、木場さん演じる〈隊長〉が前口上で仰っている通り「趣向」です。「娯楽」といってしまえばそうなのかもしれません。いつの時代も、僕の知り得る限り、多くの場合において、有事の際、芸術やお芝居などはトカゲの尻尾切りのように世の中から捨て置かれてしまうような存在だと思っています。しかし、僕の思いとしては、この「娯楽」というものが人の心というものを豊かにする重要なものなのではないか、と思っています。
娯楽というものが世の中からなくなってしまったら、きっと皆さんの心は、お芝居をさせていただいている僕らも含め、「豊かな心」がどんどん失われていってしまうと思います

公演中止という判断をせざるを得ない状況にまでなってしまいましたが、僕の考えといたしましては、次また皆さまと「お芝居」の場所で会えること、それはまた〈隊長〉の言っていた通り「想像」をする場所で会う、ということなんです。

僕はこの公演を通して、〈三世次〉という役を通して、もしかしたら世間では本当に悪い奴だと糾弾されてしまうような人も、どうしようもない事情でそうなってしまったのかもしれないと考えられる「想像力」を、改めてこの作品から頂きました。そんな力を共有できたら、豊かな心づくりをし合えたら嬉しいなという思いでもお芝居をして参りました。お芝居の場所はそういった想像力を共有する場所だと思っています。

今日の発表は、非常に残念ではありますが、またこういった場所で、皆さまと想像力を共有できるようになるための措置であると僕は願っています。

日生劇場 絢爛豪華 祝祭音楽劇『天保十二年のシェイクスピア』

 

2019年、個人的に中々しんどいことが山積みだったあの年、私は2月の天保十二年のシェイクスピアを目指して何とか生き延びていた。天保を待つ間もしんどい現実から逃れさせてくれるのはいつだって物語の中の世界で、小説、ドラマ、映画、漫画、それら物語の世界に浸るたびに生き返るような心地がした。そして待ち侘びた2020年2月、天保十二年のシェイクスピアを初めて観たあの日、本当に生きながらえて良かった、と心の底から思った。あの頃、娯楽は私にとっての救いで、ご褒美で、生きる糧だった。

 

だからこそあの時、そしてその後もしばらく、人が生きる上では不要だ、それがなくとも社会は回るのだと言わんばかりに、あらゆる娯楽が日常から排除されていくのを見て、とても「仕方ない」とは思いきれなかった。仕方ない、仕方ないと頭の中で重ねるたびに「どうして」が浮かんできてしまう。

その度、高橋さんの言葉を頭の中で繰り返していた。

 

娯楽が私たちの心を豊かにする

娯楽がなくなったら、私たちの豊かな心は失われていってしまう

お芝居の場所は、想像力という力を共有できる場所、皆で豊かな心づくりをし合えたら、と高橋さんが思いを込める場所で

今のこの時間は「またこういった場所で、皆さまと想像力を共有できるようになるための措置」

 

その言葉の中にあるものを、その言葉の中にある言葉以上のものを、何度も自分の中で繰り返した。

高橋さんのあの挨拶を読んだとき、皮肉にもこれまでで一番、「あぁ、本当にこの人を好きになって良かったなあ」と思った。この人を応援できて、この人を見ていられて、この人を好きでいられて、本当に幸せだと心から思った。役者さんとしても、人間としても、この人の姿を今見ていられることがどれだけ幸せなことか。彼の言葉を読みながら、ものすごく悲しくて、でもものすごく幸せだと同時に思った。ごちゃ混ぜで訳わからない感情で何度も読み返した。

それぐらい、あの言葉に救われた。

 

 

なぜこんな話を書いたかといえば、私が「推しが増えた話」をするには、やっぱり天保十二年のシェイクスピアと、そしてそれが中止になってしまったあの日と、その後日常が一気にがらりと変わったあの数ヶ月間の話が不可欠だなあ、と思ってしまったから。

できるならあんなことが起こらず、あんな期間も存在しない世界線で生きたかったけれど、「今ここ」の「高橋さんと浦井さんを推している私」に辿り着くまでの間には、やっぱり2020年の非日常な日常が存在してしまう。そうでなければ辿り着けなかった、なんてことは思わないし思いたくないけれど、実際その期間と、私が浦井さんに惹かれていった期間はぴったり重なっているので、どうにも離しようがない。私はこの世界線に生きていて、この世界線で彼を好きになってしまったので、その経緯を思い返そうとすれば、勝手にそれらはついてきてしまう。だから一緒に語るしかないな、と少し腹を括って、あの日のことから書いてみることにした。

 

思い出したくない、とは思わないけれど、あの時期を思い出すのは今でも結構しんどい。実際のところ、四度も観ることのできた私は幸運に違いないのだけれど、人間の(というか私の)心はそんなに器用にはできておらず、相対的に自分の辛さを捉えることなんてできなかった。観られただけ幸せだ、と言い聞かせても悲しいものは悲しかったし、もう一度観たかったものは観たかった。何より、最後まで走り切った天保十二年のシェイクスピア千穐楽を祝いたかった。初めての舞台の、初めての千穐楽を見届けてみたかった。おめでとうございます、と心から言いたかった。今でもそう思ってしまう。

 

それでもあの時、高橋さんの言葉で私は救われた。天保十二年のシェイクスピアが終わらずに終わってしまった現実は正直、その後もしばらく受け入れられなかったけど、自分の中で「悲しい」「嫌だ」「観たかった」「なんで」「見届けたかった」「どうして今?」と洪水のように迫ってくる行き場のないごちゃごちゃの感情を、そのまま流しておいていいんだと思えた。なくならないし、収まらないし、終えられないけど、それでもいいやと。

 

2月28日、最後に観るはずだったあの日、「あと一回観られる」と思っていた天保十二年のシェイクスピアにも、「あと一回来られる」と思っていた日生劇場にも、どうしてももう一度会っておきたくて、日比谷に向かった。もう一度、と思ったまま終わってしまってはどうにも区切りがつかないような気がして。

 

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2月、日生劇場に通っていたあの頃、何度もこの角度から写真を撮ったけれど、この写真は他のものとは全く違う何かを放っているな、と今でもカメラロールを見返しながら思う。最後だ、と思いながら、最後なんだよな、と言い聞かせながら撮った一枚。私のTwitterのヘッダーはあれからずっとこの写真だけれど、きっと自分の中である種の願掛けのようなものなんだろうと思う。あの日、この写真を撮った気持ちを忘れたくないし、叶うならばもう一度この景色を見たい。

あれから、藤田さんや宮川さん、そして浦井さんの口からも「いつかもう一度」を待っていてもいいのかもしれない、と思えるような言葉を聞けた。けれど、あの頃はまだ何も分からなかったから、願っていいのかも分からず願っていた。もうここに来ても観られないんだなぁ。もう彼らには会えないんだなぁ。そう思いながら、そう言い聞かせて無理矢理実感を湧かせながら、それでも願わずにはいられなかった。どうかもう一度、と。

 

そうしてしばらく日生劇場を眺めて、写真を撮って、また眺めて、「流石に帰るか」と地下鉄に続く階段の入り口へ向かった。階段を下ろうとしたら、少し遠くにトラックと、黒い服を着た人達が十数人。何だろう、と思って、近くを通り過ぎてみようか、ともう一つ向こうの階段まで歩いてみることした。黒い服の人たちの横を通りすぎながら、ちらりと彼らの姿を見てみたら、「黒い服」はどうやら見覚えのあるTシャツだった。背中には「天保十二年のシェイクスピア」の白い文字。

あ、と気付いて、足早に立ち去った。何となく、見てはいけないものを見たような気分になってしまったから。無観客で行われた事実上の千秋楽の日、劇場にいないはずの「観客」が、終わった後の舞台裏を勝手に覗いてしまうのは、何だか悪いことをしているようで。実際そんなことはなかったのかもしれないけど、分からないけど、何となく早く立ち去らねば、と思ってしまった。でも、スタスタと階段に向かって歩いていきながら、何となく名残惜しくなって、つい後ろを振り向いてしまった。まだそこに残る黒い服の人達、あらため天保十二年のシェイクスピアのスタッフの方々。

この人達が、この舞台を見えないところで支えてくれていたんだなぁ。私はこの人達のお陰で、あんなに素晴らしい舞台を観ることができたんだなぁ。普段は見ることのできない、普段はお礼を伝える宛先も分からない人達が目の前にいると思ったら、たまらなく嬉しかった。ありがたかった。とはいえ、お仕事中のスタッフの方々に「ありがとうございました!!とんでもなく素晴らしかったです!!!!とっても好きです!!!!」と直接伝えるわけにもいかないので、とにかく「ありがとうございました」と遠くから目だけで念を送っておいた。どうか1ミリでも届きますように、と念じながら心の中で一礼した。そしてまた暫く見つめてから、階段へと向かった。それが何となく、あの2月の天保十二年のシェイクスピア期間の、最後の記憶として残っている。たぶん、ずっと忘れないんだろうなと思う。

 

あれから10ヶ月近く経つ。もうすぐ、手元に天保十二年のシェイクスピアが届く。あの日観られなかった、幻の2月28日公演の映像。

私にとって天保十二年のシェイクスピアの終わりは、今も続く非日常の始まりで、なんとなくあの時以降、それ以前、という感覚がある。そしてあの時から今までずっと、予想することもできなかった非日常を私は生き続けている。すっかり日常になってしまった非日常に慣れながら、毎日を過ごしている。

天保十二年のシェイクスピアの幕が閉じてから、3月が明けて、それから春も過ぎて、夏が来て、秋が来て、それももう終わって、またあの頃と同じ冬が来る。とはいえ「あっという間だった」という感覚は今年はあまりなく、ただ変な時間感覚だったなと思う。長かったはずなのに、中身がぼんやりしている。過ごした時間の中身が濃密だと、時間の流れが長く感じることはよくあって、その場合は中身がくっきりしていることが多い。1週間前が遠く感じる時は大体、解像度が高くて、彩度の高い記憶が詰まっている。けれど、今年はそうではない。なんとなく長くて、間延びしていて、中身がぼやけていて、悪いことばかりかといえばそんなことはなかったけれど、何とも言いがたいぼんやりした空虚さみたいなものが根底にずっとあったような気がする。

そんな中、あの2月の記憶は少し異様なぐらい、ものすごく鮮明で、くっきりしている。狂おしいほどに楽しくて、興奮して、面白くて仕方がなかった、煌びやかで、色鮮やかで、幸せな記憶。普段の感情のメモリが30、40ぐらいを往復しているとすれば、あの頃の私のメモリは高頻度で150ぐらいに振り切れていた。観に行ったその日はもちろん、電車の中で、家の中で、友人といる時でさえも、天保十二年のシェイクスピアを脳内で思い返しては幸福感と高揚感に浸っていた。こう書くと完全に危ないやつだけれど、たぶん実際危ないやつだったのだと思う。とにかく幸せで楽しくてしかたがなかった。

そして、そんな幸せな記憶に、時間に、私はその後の数ヶ月間ものすごく助けられた。自粛期間中、なんとなく鬱々としてしまったとき、特に理由もなく全てが面倒臭くなったとき、新しい生活に疲れ切って気力が皆無になったとき。今年は心の免疫が何となく下がっていたような気がして、人の悪意とか圧とか場の空気の不穏さとか、そういう日常にぽつぽつ転がっている攻撃力の高い要素からのダメージを、ストレートに受けてしまってぐさっと刺されてしまうことが多かった。防御壁がうまく出てきてくれないのでその度に削られていた。

そんな削られがちな日々の中で、天保十二年のシェイクスピアは私にとってのとっておきの特効薬だった。日常的に思い出すのではなくて、ここぞというときに思い出す記憶の特効薬。彬良さんがあげてくれた天保十二年のシェイクスピアの音楽は、聴けばあの2月に連れて行ってくれる魔法の乗り物だったし、プログラムを読めば脳内で一人上映会も開催できた。部屋には王次のキーホルダーが特等席に飾ってあるし、三世次は今日も私の鍵にぶらさがってキーホルダーの役割をきちんと遂行している。あの日、一度天保十二年のシェイクスピアが終わってしまってからも、私の中にはずっと天保十二年のシェイクスピアがあった。

楽しくて幸せで仕方なかった記憶をひとつ持っているというのは、ものすごく強いなと思った。たとえば、とても信頼している、側にいると心強い友人がいたとして、その人を「ふふ、私にはこんな素敵な友人がいるんだぞ」とその人を誇らしく思う気持ちに近いかもしれない。「へへへ、私にはこんなに楽しくて幸せで満たされた記憶があるんだぞ」と自慢げに思える記憶。誰に、とかではなくて、自分の中で心から自信を持って途轍もなく幸せだったと言える記憶を持っていることは、ひとつのお守りみたいなものなんだなと思った。何か気分が落ちたとき、沈んで戻って来れないとき、気持ちに区切りをつけたいとき、私は必殺技のように天シェの記憶を思い返していた。不思議なのは、いつ思い返しても「あの頃は幸せだったなあ」と過去の自分を羨む気分にはなることはなくて、「そうだ、私めちゃくちゃ幸せだったんだよな…その幸せな記憶が、私の中にちゃんと残ってるんだなあ」と、今ここの自分に力が戻ってくること。「そうだ、私にはこれがあるんじゃん」と思えて、なんだかむくむくと元気が湧いてくる。過去の幸せな記憶が、今ここに生きている自分の心の強度を高めてくれる。なんか、それってすごいことだなぁと思った。

 

 

天保十二年のシェイクスピア①」、「天保十二年のシェイクスピア②」と、天保十二年のシェイクスピアの感想を書いた。感想というよりはほとんど日記だったけれど、一応感想のつもりで書いた。今回の「天保十二年のシェイクスピア③」は、まるまる、天保十二年のシェイクスピアへの感謝の気持ちを、やたら長い言葉に変換して形にしたものになっている。天保十二年のシェイクスピアという存在そのものに対しての感謝。いや、たぶん「感謝」という言葉だと確実に足りていないし、何となくきれいすぎる気がする。もちろん感謝の気持ちはものすんごくあるけれど、それは一部で、私が天保十二年のシェイクスピアに抱いている感情はもう少し範囲が広くて、たぶんもう少し色々複雑で拗れている。とはいえこの10ヶ月天保十二年のシェイクスピアに抱いてきた愛は激重なので、私の知る限り当てはまる日本語が思いつかない。元々ない語彙力をさらに放棄して言うなら、あれです、ビッグラブ。本当にビッグラブ。それに尽きる。

 

そんな訳で、もともとは「推しが増えた話③」のつもりで書き始めたけれど、書くうちにすっかり「天保十二年のシェイクスピア③」になってしまった。とはいえ天保十二年のシェイクスピアはそもそもこの話の原点なので、「天保十二年のシェイクスピア③」であり「推しが増えた話③」でもあるのだと思う。

 

もう12月になり、あと2週間でようやく天保十二年のシェイクスピアBlu-rayが手元に届く。あの2月、私が観てきたものをもう一度観ることができる。あの日、私が日生劇場をただ見に向かった2月28日、そこで行われた天保十二年のシェイクスピアの千秋楽を、10ヶ月経てようやく観ることができる。

その前に、これを書けて良かったな、と思う。私が2020年2月に観た天保十二年のシェイクスピアを、自分の中で一度納めておきたかった。私の中の2020年と天保十二年のシェイクスピアについて、ちゃんと今年のうちに文字にできてよかった。もう一度観る前に、ちゃんと振り返ることができてよかった。本当にたくさんたくさん、お世話になったから。

天保十二年のシェイクスピア、ありがとうございました。

 

さて、

ひとまず「ありがとうございました」だけれど、そんな訳で再来週とうとう、私の天保十二年のシェイクスピアが家にやってくる。手元に届いてくれるBlu-rayのおかげで、私はこれからも天保十二年のシェイクスピアを何度も観ることができる。これからもずっと、ありがとうございますを更新し続けることができる。めちゃくちゃ幸せだ。

 

それでは、あと2週間、天保十二年のシェイクスピアへの愛をぐつぐつ煮込みながらBlu-rayを待とうと思います。我が家に天保十二年のシェイクスピアがやってくる幸せを噛み締めながら。

 

良い年末になりそうだなあ。