140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

推しが増えた話

この度、推しが増えました。

Twitterでもう散々騒いでるのでまあそりゃそうでしょうな!な話なんですけど、ちょっとあらためて書きたくなったので、書いてみることにしました。

主に高橋さんと浦井さんのおはなしです。

 

 

そもそも私にとっての第一(人生初)の推し=高橋一生氏の沼に落ちたのが、遡ること3年前(自分で書いててびっくりした。2017年って3年前なの.……..?時の流れ...)。

 

大河ドラマ・おんな城主直虎の小野但馬守政次をきっかけに(とはいえ政次は政次沼が別枠で自分の中に存在しているし、彼に対しては高橋さんご本人とは違う種類のいわゆるクソデカ感情みたいなものを抱いているので、彼が高橋さんと重なっている感覚が未だにあまり持てていない)、高橋さん沼にじわりじわりと沈んでいったわけなんですが、

その時期に関しては、なんせ人生初の推し、人生初の沼落ち、人生初のファン(オタク)化……等々あらゆる初めましてが重なりすぎたせいか、非常に記憶が曖昧です。色々とビギナーすぎて脳の処理が追いつかなかったんだと思う。高橋さんご本人の沼に落ちたのがどのタイミングなのか、割と本気で思い出せないんですよね……

ざっくり言えば、直虎(政次)→リミスリ(カイト)の流れで沼にスライディングしたんだろうけど、如何せんどちらも衝撃が強すぎて(しかも全く違うベクトルで)詳細記憶がほぼ残っていない。直虎はいまだに見返していないし、リミスリも映画館で2回観て以降観ていない。どちらも私にとって何度も繰り返し見たい!と思える類の作品ではないので(いや、見たいんですけどね...見ないというより見られない)、その2つに関しては作品に対しても、役に対しても、当時のまま感情が止まっている。ので、未だ言語化も整理もされないまま冷凍保存されている感じです。

そんな訳で人生初の推し・高橋さんへの沼入り期の自分の状態がどんなものだったのか、ほぼほぼ思い出せない。

 

で、長くなるのでその話は一旦置いておくんですが、

そんなこんなで高橋さんに沼落ちしてから、Twitter上でも現実でも、「何かしらの推しを推している」人によく出会うようになったわけですが、そんな中でも、「複数人の推しを推している人」の存在が気になるようになりました。

私はそもそも、自分が誰かの存在を「推し」と認知して、数年間もその「推し」への感情が持続する、という状態自体が高橋さんが初めてだったので、もう、なんかそれ自体がとってもすごいことだったんですよね。推しという存在ができたこと自体奇跡!みたいな。抱く感情や想いに変化はあれど、誰かに対するなんかしらの感情や興味が、自分の中でこんこんと湧き続けるのがとても不思議だった。飽きることもなく冷めることもなく、対高橋さんへの気持ちが変化しつつも継続されるのが自分でも驚きすぎて、本当「この人すっげ〜〜〜(語彙力)」って感じでした。特に最初の1年。

今後それがどうなるかなんて自分では予想ができないことだけれど、もし仮に「好き」だという感情が薄れたとしても、高橋一生という人に対する興味は消えることはないだろうなあとなんとなく思ったりします。

彼がこの先誰の人生を生きて、それがどう還元されて、どういう思考を辿って、それをどんな言葉で表すのか、私には到底想像がつかないので、永遠に気になり続けると思う。私はいまだ高橋さんのことが全然分からないし、恐らくこの先もずっと分からないから、興味は尽きないような気がする。高橋さんを役者さんとして「好き!!!」という感情とは別のところで、人間・高橋一生に対して研究対象としての興味みたいなものがすんごい湧いてくるので。だからもうCUTの2万字インタビューとか最高ですよね……ね……

……ええ、盛大に話が逸れました、人間推しの話をすると駄目ですね。理性が消えます。

 

複数人の推しを持つ人の話に戻ります。

気になるようになった、と書きましたが何故かといえば、人生初、一人推しができただけでも(良い意味で)めちゃくちゃエネルギー使うことを実感していて、推しってとんでもない引力だな〜〜と思っていたのに、それを×複数持つ人々、どれだけエネルギッシュなの………?と。推しを複数愛でる人の生態にすごい興味が湧いたから。

あとは自分に推しができたこと自体が当時はめちゃくちゃ驚きだったぐらいなので、そんな存在が2人以上いる状態が想像できなかった。一人存在するだけでも中々の時間とお金とパワーを使うじゃないですか、推し(それが最高なんですけどね)。生活もグルンと変わる。以前であれば行かなかっただろうところに行くようになったり、見なかっただろうものを見るようになったり。あとは推し外の分野に関しても、一人で興味あるところにフラっといくハードルもかなり下がったなあと思います。気分でフラっと出かけられる範囲が広がった。

そんなわけで、1人の推しの存在が、自分の人生へ与える影響力が途轍もないことを、好きになって1年ほど経ってかなり自覚していたので、これが複数存在する場合、2倍3倍4倍になる……と考えると、なんたるエネルギッシュ……超人……と恐れ慄いておりました。

 

なので、私は当分推しが増えることはないだろうな〜〜と思っていたわけです。

どちらかといえば(いわずともだけど)エネルギーの総量は少ない方だし、気力体力ゲージもそこまで元のサイズが大きくない。手当たり次第興味のあることに飛びついて、あらゆる分野に手を伸ばして人生広く豊かに楽しむ!(エネルギッシュ!)みたいなことをやってみたいところだけど、おそらく割とすぐに疲れてしまう。し、そもそも興味のある範囲もそこまで広い方でもない。もともと推しなる存在がずっといなかったぐらいなので、人にしろモノにしろ、そもそもあらゆるものが「好き」センサーに多分引っかかりにくい。

だから、「あっものすごく好き…!」と思えた貴重なものに、自分のエネルギーを集中的に注いでいくのが性に合っているんだろうな、なんてことを高橋さんを推しながらずっと思っていたんですね。

 

それになんていうか、推しって突然降ってくるじゃないですか。

そもそも大河ドラマを殆ど見たことのなかった私が直虎を見たのだって、兄(私同様普段は大河なんて滅多にみない)がたまたまその前の年真田丸を見ていて、たまたま毎週録画を切り忘れて録れ続けていて、それを私がなんっとなく再生してみたからで、本っっ当にたまたまなんですよね。

で、これはifの話なので何とも言えないんですが、私はやっぱり「おんな城主直虎」の「小野但馬守政次」を見たからこそ、高橋さんに惹かれたと思っていて。森下さんの脚本の大河ドラマの、あの登場人物たちが生きていたあの物語の中で、あの時代の井伊に存在した政次という人を演じた高橋さんを見たからこそ、高橋一生という人に興味を持てた。その後も高橋さん沼に落ちる機会は、日常の中に、例えばドラマの中でも沢山用意されていた(伊能さん、一輝、慎二、竜二...etc.)とは思うんですけど、やっぱり私が高橋一生という人に惹かれるには、政次という役に出会うことは絶対条件だった気がするんです。でも、それは本当に偶然の上の偶然の上の偶然ぐらいのたまたまさで、私が高橋さんを好きになったのは、元を辿れば「兄が何となく真田丸を見始めた」からなんですよね。なるほどこれがスイッチ(MIU脳)。

だから、推しって作ろうと思って作れるものでもないし、出会おうと思って出会えるものでもない、ある日突然湧いてくるというか、空から降ってくるというか、そういうこちらの意図の外にある自然現象(何なら超常現象)みたいなもの、という感覚がものすごくあった。よく使われる「沼」という表現に沿って言うなら、推しの沼に最初から自主的にどっぽーんってダイブするのって無理だと思うんですよね。気付いたら片足浸かってたとか、気付いたら腰まで沼だったとか、もしくは突然頭から引きづり込まれた、油断してたら後ろから押されたとか。最初から「よっし!あの沼に飛び込もう!」とか能動的なものではない。「あれ、ここはどこ…?」とか言って知らぬ間に沼の深みに突き進むことはあると思うんですけどね、もしくは片足が置かれているのが沼と分かっていながらさらに自主的に沈んでいくとか。でも、最初の一歩であったり一滴(一滴って何だ、沼の泥が顔に飛んでくるとか。汚いですね。でもありそう。)であったりは、自分の意図してないところからくるじゃないですか。いや、完全に沼の外から能動的に華麗な飛び込みを決めて見事に沈んでいく方もいらっしゃるのかもしれないけど。少なくとも私の場合、「推しができる」という現象は確実に自分のコントロール可能領域の外にあると思うんですね。私の意思はそこにはない。

なので「推しが降ってくる」という超常現象が再び私の元に起こるのは、大分先のことだろうなと思っていたわけです。意図的にその機会を作れるわけでないとすると、私の鈍いセンサーがまた「ピコン!!!!!!」と振れるまでは降ってこないわけで、しかもそのためにはまた偶然に偶然が重なったりしないといけないわけで。どんな確率だよと思うじゃないですか。そんなわけで、まあ当分はないだろな〜〜〜まあ全然それでいいや〜〜と余裕をぶっこいていたんですね。

 

 

ところが、2020年。

起きてしまったわけです。超常現象第二弾が。

推しが、再び、降ってきた。

 

大分長くなってしまったので、②へ続きます。