140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

推しが増えた話②

続きです。

 

天保十二年のシェイクスピア

遡ること7ヶ月前、2020年2月半ば。

私は人生で初めてできた推しの舞台を観るために、初めて日生劇場に足を踏み入れました。天保十二年のシェイクスピア

以前このブログでも書いたんですが、あらゆる方面においてビギナーオブビギナーだった私は、もう初心者マークをペタペタ全身に貼り付けたつもりで、臨んだんですね。初・舞台、初・推しの生芝居、初・日比谷、初・劇場、もう、初めましてのてんこもりで、ワクワクドキドキの初観劇でした。

シェイクスピアの「シ」の斜め棒一本目すら知らないような私が果たして理解できるのか…?とか、そもそも初観劇で事前知識ほぼ入れてないのにこんな難しそうな作品観て3時間もついていけるのか…?とか、3時間以上もずっと座りっぱなしとか私の腰は大丈夫なの……?(若干の腰痛持ち)とか不安要素は盛り沢山だったけど、「お、推しの!!!!!舞台!!!!!!!!!!!!!!!!」という感情に勝るものはないので、基本的にはめちゃくちゃ楽しみにしてました。そして実際、とんでもなく楽しかった。

 

kinako-salt129.hatenablog.com

 

初観劇体験がこの作品だったこと、私は本当に幸せだったな……と今も思います。というか一生思い続けると思う。これからあらゆるシェイクスピア作品に触れるたびに、私は自分の記憶の中の天シェを思い出し続けるわけです。通常であれば「シェイクスピア作品→天保十二年のシェイクスピア」の順番で頭観て「あ、ここの場面はあのシェイクスピア作品が使われてるんだ…あっこの台詞は〇〇の…!」と気付いて楽しめるところを、私はほとんど全ての順番が逆になるので、「あっこの台詞は天保のあそこで使われていたあの……!あれはこれが元だったんだ…」と数年越しに気付くことになる。シェイクスピア作品を見るたびに、天保十二年のシェイクスピアを必ず思い出す。原点がいつでも天保十二年のシェイクスピアになるわけです。何年経ってもそこに戻ってくる。なんと幸せなコースでしょう...

………天保十二年のシェイクスピアについて話し始めるとまた以前のように長々長々長々書きすぎて本題にも入れなくなりそうだからおわります。とにかく大好きです。

 

本題に戻ります。

というわけで2月、舞台についてもミュージカルについてもきわめて無知な状態で臨んだので、基本的には共演者の方々のことを全然知らなかったんですね。事前に調べてみてもよかったのかもしれないけど、やっぱり役者さんは役を通して知りたいなと思って、敢えて何も情報を入れずに初観劇日を迎えました。もうとりあえず初日は装備ゼロで飛び込んで浴びてくればいいやと。

結果、それ良かったなとも思いました。頭でっかちにならず、この身ひとつでえいや!って飛び込んでみたからあれだけ異常に楽しかったんだと思う。完全に「考えるな、感じろ」スタイルだった。

 

そう、そして完全無装備で天保十二年のシェイクスピアに飛び込んだ私に、とんでもない一撃必殺を(一撃でも必殺だけどそれを何発も打ち込まれたので多重死)くらわせてきたのが、はい、王次さんです。ここで一度、当時の私を振り返ってみましょう。(以下、天保十二年のシェイクスピア①から引用)

 

 

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1回目は、……あの、正直に申し上げますと、どちらかというと、あの、(ごめんみよたん)

「ええぇぇ、あ、待って、王次、格好いい…………」

に持ってかれました。

 

王次の圧倒的陽パワーに完全にやられた。うぇぇん眩しい、眩しいよ王次………!

下手ブロックだったんですね、通路から数列横の。王次が通った時になんかもう、格好良い風が吹いたんですよ。あれは生まれつき格好良い人が吹かせる風だった………

それであの登場の仕方、からのあの歌。歌い方が王次、あれは何かもう、女侍らせてる男だよ……完敗。浦井王次、天才。

 

あの女ァ!って感じ。分かりますか。「おんなぁ」じゃないの「女ァ!」なの、王次が言うと許される、「はーい!!!女です!!!!」って飛んで来たくなるあの感じ(王次の「女」呼びの似合うこと似合うこと……)。

あの真っ直ぐで馬鹿で生来のナチュラルな色気がデロンデロンに漏れてる感じ、駄目ですね、負けました。普段ややこしくて捻れてむわっと滲み出てくる色気を纏っている(それもそれで完敗なんですけど)推しを拝んでいるせいか、ナチュラルどストレートな色気に耐性がなかった。

 

例えがあれで申し訳ないんですけど、基本少女漫画でいう黒髪キャラばっかり好きになってきた人間なので、白髪(金/茶)キャラのナチュラルボーンキラキライケメンに、スっと惹かれないがゆえに、……そう、耐性が全くないんです。(三世次は圧倒的黒髪ですね…茶色だけど)

 

そんなわけで初日はすっかり王次の虜に。

さらっさらの髪を揺らして大股で歩く王次、叔父と母を睨む王次、お冬を罵倒する王次、お光といちゃこらする王次、王次、王次〜〜〜!!!!!

(いつの間にか私も老婆たちに薬振りかけられた……?と思うほどの王次マジック。すごい。)

 

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はい、完全にやられてますね。

何かでも本当に、ノーガードのところにガッてきたんですよ、王次......。圧倒的少女漫画白髪キャラ、主人公と結ばれる方、絶対的陽パワー、喧嘩強い・女にモテる・顔が良い、でもパーフェクト!って感じじゃなく母性本能もくすぐる可愛さも併せ持つ、............ほら、私が今までハマってこなかった側の人じゃん....日の光浴びてる側のひとじゃん.....無理無理無理、耐性ない、そっちの予防接種受けてない...........って初日はひたすらアワアワしてました。

基本的に対・高橋さんの場合、大体自分のツボにはまると「アッ...無理好き.........」頭抱えて悶えてゴロンゴロンしてるんですけど、王次に対してはもうなんか、格好良すぎて素直に照れてた。少女の心を取り戻して照れまくってた。だってそっちはノーガードなんですよ...!!!やめてください!!!!って気持ちで照れ倒してた。

というわけで、とにかく王次がしんどかったんです。王次登場時のあの当たり席付近にいなくて本当に良かった。心臓が危なかった。 生きて帰れてよかった。

 

 

さて、ではそんな「王次」の中の人、「浦井健治」さんに対しては何を思ったか。

事前にほぼ何も情報を入れていない私からすると、そのとき「浦井健治」さんの情報は「自分が目の前で見た王次」しかなかったんですよね。なので頭の中では、「浦井さん」≒ 王次になるわけです。 もちろん役と中の人は別人なので、浦井健治さんという人自体が王次みたいな人だろうな〜〜とか認識していたわけではないですが、脳にある浦井さんに関する情報が「目の前で見てきたあの王次」しかないので、どうしたって結び付けて考えてしまう。

だからなんとなく、「陰陽でいったら陽」とか「なんかとりあえずすごい格好よくてキラキラしてる人」とかふわっとした印象を抱いてました。後は、SNSを一切やらないがゆえ公式からの供給がないと全く何をしているのかわからない高橋さんの写真(オフショット)をちょこちょこあげてくださる何ともありがたいお方だった(いまだに感謝しています)。一緒にパン半分こしているぐらいだから高橋さんと仲良いのかなあ、嬉しいなあ、どんな方なんだろうなぁと始まる前は思っていたり。共演者の方との写真をよくあげられていたので、フレンドリーな方なのかなとも思っていた気がする。

そんな感じで、王次に関しては、「なんか、やばい格好いい生き物を見てしまった.........」という行き場のない感情を持て余していたけど、浦井さんに対しては、「王次の中の格好いい人」ぐらいの認識を当時はしていました。

 

で、それが変わったのが、初めて浦井さんのラジオを聞いたときですね。

いや、あのラジオを初めて聞いた時の衝撃たるや。

............?これ、本当に王次と同じ人...............................????

脳がバグりました。頭の中の王次とラジオで楽しそう〜〜に喋る浦井さんが全然結びつかなかった。

基本的に脳内の浦井さんは王次ベースなので、「格好良い」人だったんですよね。何というか、「格好良い」にちゃんと収まれる人。良い意味でオチが付かなそうな人というか。そういう印象を持っていたので、初めてラジオで「浦井健治」さんな浦井さんを認識したとき、本当に「この人、こんなにかわいらしい人だったの............................?」の衝撃がすごかった。20分間ずっとびっくりしてた。

わんちゃん?わんちゃんなのこの人..........?ワフワフしてる楽しそうで人懐こいわんちゃんなの....................?かわいいね.................?しかも御歳38歳(当時)......高橋さんの一つ下.............?こんなストレートに人懐こい愛らしいわんちゃんみたいな38歳いる..............?

みたいな驚きとクエスチョンマークがずっと脳内をぐるぐるしてました。本当に20分間ぐるぐるしてました。俳優さんのギャップって、役⇆役も役⇄素(ご本人)も役の印象が強ければ強いほど驚くことが多いけど、にしてもですよ........あんなかわいらしい方とは思わないじゃないですか.................

 

そんなわけでラジオを初めて聞いた夜を境に、「浦井健治」さんの印象はぐるんとひっくり返り、私の中で「かわいくて穏やかで人懐こいなんか楽しそうな大型犬」みたいな位置づけになりました。

あとは何回かラジオを聞いているうちに思ったのが、「あ、この人は大丈夫だな」という安心感を自然とこちらに持たせてくれる人だなということ。安心して信じられるというか、素直に安心して話を聞いていられるというか。

こう、知ったばかりの人って「この人はどういう人なんだろうか」とその人に対して色々検討する期間があるじゃないですか。いや、もちろんない方もいらっしゃるかもしれないですけど、日常の人付き合いに関しても何にしても、私はその期間が割と長いタイプで、その人を自分の中でどういう位置に置くかを検討するのに結構時間を取るんですね。で、しばらく経って「あ、この人は大丈夫な人だな」「あ、この人はちょっと3mぐらい距離を置いて付き合おうかな」とか、自分のなかでだんだんその人の置き場所が定まっていく。

で、浦井さんという人は、早々に「あ、大丈夫だ」と思わせてくれる方だなと思ったんです。この人に対しては安心していいんだな、という安心感を向こうからどーんと大きく与えてくれる。裏表がない、というと若干違うのかもしれないけど、隠すところがなさそうな人だな、と思った覚えがあります。あとは人に対して開いてる感じがする人だな、と。人懐こいわんちゃんのイメージは多分、お腹広げてでろーんって誰でも迎え入れてくれるような懐の広さみたいなものもあったんだと思う。

 

そんなわけで、天保期の浦井さんの印象は「あったかくて素敵な方だな〜〜」というものでした。

「王次、格好いい...!」も強かったけど、浦井さんという役者さんのお芝居自体にもとても惹かれていたので、絶対またこの人のお芝居を違う場所で見てみたいなあと思った。王次の印象とご本人の印象がまるで違ったので、違う役が入ったこの人はどんな人になるのか、すごく気になった。新生活で忙しくなるかもしれないけど、今年中に必ず観に行こう、と思っていました。

ただ、まだこの時点では、「素敵な方だな〜〜」だけだったんです。沼に片足を踏み入れている感覚もなければ、予感もしていなかった。今から考えれば沼落ちの伏線だらけなんですが、2.3月はまだ全然、1ミリも自覚がなかったような気がします。

その後、2020年初夏頃からだんだん「お..........?」となりだすまで進行していくのですが、またまた長くなりすぎたので②はいったん閉じます。

天保十二年のシェイクスピア通い期間編、終了です。

 

 

(書きたいことを書きたいままに連ねているので、ぜんっぜん本題が始まらないですね…?ペース配分ばかなのかな........?と思いましたが、楽しいのでよしとします。もし読んでくださっている方がいたらすみません。こんなにだらだら長々とまとまりのなく続いちゃってすみません。

とりあえずまた③に続きます。今度は本題に入れますように。)