140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

メイビー、ハッピーエンディング③プログラム、ジェームズと家族、メイビー、ハッピーエンディング

2020.8.29〜30

 

 

8月29日、行ってきてしまいました、4回目。

 

チケットが出ているのなら、お席がそこに存在するのなら、空席を埋められる時間とお金とそれを許す状況が自分にあるのなら、行ってやろうじゃない…!と追いチケをまたまた重ねました……身の丈に合わぬ追いチケ…ええ、しかし後悔はしておりません…

というわけで、前回で終わるかなと思ったメイビーについて、何だかまた書きたくなってしまったので、書くことにしました。

人間はすぐ忘れてしまうので、残せるうちに残せるなら、残しておく。

 

さて、今回でメイビーを観るのは四度目、ということでこれまでの3回目を振り返ると、

 

1回目:

話を追うだけで精いっぱい。ふわふわしてて楽しい、ひたすら幸せ。初回は、ラストに関しては正直「…?」だったけど観終わった後の幸福感がダントツ。念願の劇場、念願の生のお芝居、加えて2月の王次ぶりの浦井さん。ようやくこの場所まで来れたなぁいう幸せも相まって、数ヶ月間で一番幸せな日だった。

ただし1日経ったら内容も音楽もびっくりするほど頭から飛んだ。記憶にはとにかく残らなかったけど、ひたすら幸せ。

 

2回目:

1回目が10割感覚で観てたとしたら、たぶん2回目は4:6(思考:感覚)ぐらいの割合。「あ、ここでこんなこと言ってたんだ」「あ、ここでこんな表情してたんだ」「あれ、これはもしかすると……?」とか、目の前で進む物語を堪能しつつも、後ろで少し頭が働いている。

観終わった後に記憶が残ってくれたので、帰りの電車で色んなシーンの解釈を色々考えてしまった。あとは2回目は音楽も記憶に残ってくれて、家に帰っても思い出せたのが嬉しかった。

 

3回目:

2回目の観劇後に自分の中で色々考察している+2回観ているから既に登場人物にすっかり感情移入しまくっていたため、もはや冒頭からほぼずっと涙腺が崩壊。下瞼が機能してなかった。ドライアイなのに目が一切乾燥しないどころか終始潤っていた。すごい。

オリバー、クレア、ジェームズ、誰の気持ちを想像しても「あああぁ……(②参照)」となってしまう。割合でいうと2:8(思考:感覚)、ずっと誰かしらに向けて感情が動いていた。

しかも3回目、この残りの2割の理性というか思考というかが動いている部分がまた良い仕事をしてくれて、見ながらある割合で思考がちゃんと動くからこそ、更に色々なことに気付いてしまって、「…ってことはこの時彼(彼女)は……」とかなったらもう、また「あああぁああ……(決壊)」となり、それの繰り返し(日本語がひどい)。

加えて、話の流れは既に理解しているから、3回目は歌詞をじっくり聴いて音楽に浸れる余裕も少し出てきて、それがさらに助長するわけです…メイビー、音楽がめちゃくちゃ素敵だから……

そんなこんなで一番印象に残っているのは、3回目かもしれない。一番気付けたことが多くて、始まりから終わりまで、感情がぐわんぐわん動かされ続けた。3回行けてほんとに良かった。

 

…と、そんなわけで、3回行った時点でもうだいぶ満足していたんですが、なぜ今回もう一度行きたいと思ったかといえば、もちろん「行けるなら!行きたい!!!!観たい!!」という純粋な欲求もあるんですが、

たぶん一番大きかったのは、自分の中でこの作品を一度ストンと落ちるところまで落としたかったんだと思うんですよね。

 

オリバーとクレアは、最後何を選んだのか

この物語は、ハッピーエンドなのか

 

タイトル通り「メイビー」な終わり方をするこの作品、もちろんラストの受け取り方は観た人ひとりひとりに委ねられていると思うのですが、

それでも自分の中で何となく、自分がこの物語を、この物語の終わり方をどう受け取ったのかを決めたかった。いや、決めたかったというより、知りたかった。

「たぶん」「かもしれない」の意をタイトルに含み、余白を優しく残してくれているこの作品に対して、ある意味「白黒つけてやる!」みたいなことしようとしているのは何というかこう、趣がない感じがしてあれなんですが、

それでも自分の中で、何となくこの物語の置き場所みたいなものを定めたかったんだろうなと思います。

 

きっとまた誰かの感想を見て、もしくは喜ばしいことにまた再演があったりしてまた観れる機会ができたなら、それはどんどん変化していくのかもしれないけれど、

2020年8月時点の私が、この作品をどう観たのか、を残しておきたい、知っておきたい。

たぶんそんな思いがどこかにあって、4回目を観に行ったんだろうな、と思います。

 

そんな訳で、また4回目の感想をつらつらと書き連ねていきたいと思います。

 

 

・ヘルパーロボットのプログラム

「ヘルパーロボットは人間を助けたいと思うようにプログラミングされている」

MOTELのスタッフさんを助けてあげようとオリバーがはしゃいでいる時、クレアが言っていたこと。今回、それについて何だか考えてしまった。

オリバーとジェームズの回想シーン、オリバーとジェームズの二人の幸せな時間。

 

君が笑顔になると幸せ。君のためなら何でもできる。

オリバーはジェームズが好きで、役に立ちたくて、ジェームズが好きだからこそ、自分のしたことで彼が喜んでくれたら嬉しくて仕方がなかったんだろうな、と思う。

 

ただ、

おそらくヘルパーロボット達は「自分のしたことによって相手が喜ぶ」ことを最上の幸せとして感じるようにプログラミングされているんだろうな、とも同時に思ってしまった。人を助けたいと思うように、人を助けて喜んでくれたら幸せを感じられるように、彼らは作られている。

誰かの役に立ちたい。誰かの役に立って誰かが喜んでくれることが幸せ。

「人間を手伝ってくれるロボット」として作られるロボットに対して組み込むのに、一番都合のいいプログラムが、その形なんだろう。

けれど、

それはつまり、捨てられ、持ち主を失ったヘルパーロボット達は二度とその最上の幸せを感じられなくなるということで。

なかなか残酷なことをするな、と思ってしまった。

この作品ではそこまで強くは描かれない、人間の身勝手さ。自分たちを助けさせるために作ったロボットを、古いからと捨てる人間たち。彼らに感情機能を搭載しておきながら、酷なことをする。彼らヘルパーロボットは人間を助けるためだけに作られ、誰かの「役に立つ」ためだけに生きているのに。

 

クレアがオリバーに、「もし家族があなたを必要としなかったら?」と訊いたとき、オリバーは「助けを必要としない人間なんていない」と答える。

そして、ジェームズの家を訪ね、出てきたあと、

「誰も僕の助けを必要としていなかった」とひどく傷付いた様子で言う。

 

ヘルパーロボットは、文字のごとくhelp=助けるために作られたロボットで、

彼らにとっての「助け」とは、つまり自分の存在そのもので、

 

「助けを必要としない人間なんていない」は

「自分を必要としてくれる人間が必ずいる」とオリバーが信じている、ということで。

 

「誰も僕の助けを必要としていなかった」は、

「誰も僕の存在を必要としていなかった」とオリバーが気付いて(思って)しまったことなのか、

と思ったら。

 

あの瞬間、オリバーはどれほど傷付いたんだろうか。

唯一の友達だった、ずっと待ち続けていたジェームズは、既にこの世を去っていて

友達だと信じていたジェームズは、もしかしたら自分を必要としていなかったのかもしれない。単なる便利なロボットでしかなかったのかもしれない。

そしてクレアが言うように、古くなってしまったから自分を捨てたのかもしれない。

 

自分の助けを、自分の存在を、必要としている人は誰もいないのかもしれない

 

素直で真っ直ぐで、人や自分の何もかもを信じていたオリバーは、きっとあの時何重にも傷付いたんだろうな。

 

 

でもその側に、クレアがいた。

「私はあなたの助けを必要としている」

「ヘルパーロボットに持ち主が形見を残すなんて、特別なこと」

「ジェームズとあなたは本当に友達だった」

 

自分は誰かに必要とされている。

自分は誰かの役に立つことができる。

ジェームズと自分は友達だった。

 

オリバーが信じていたことを、あの時クレアはちゃんと真実にしてくれた。

オリバーの助けは、オリバーの存在は、ジェームズにとって必要で、大切な存在だったのだと。

そして、今目の前にいるクレアにとっても、オリバーは必要であると。

 

あの時、ジェームズの家を出た瞬間、クレアがいてくれたことはオリバーにとってどれだけ救いだっただろう。

「私にはあなたの助けが必要」

ヘルパーロボットにとって自分の存在意義の前提は「誰かに助け=自分を必要としてもらえること」。

クレアのあの言葉は、ヘルパーロボットであるオリバーにとって、あの瞬間、一番必要な言葉だったんだろうな。

 

クレアが待っていてくれて良かった。

2人が、一緒に蛍を見に行けて良かった。

誰か(人間)に頼まれたわけでも、必要とされて動いたわけでもない、2人が見たいと願って自分で見に向かった蛍。

あの瞬間、2人はヘルパーロボットの枷から少し抜け出せたんじゃないだろうか、と思った。

誰かに必要とされる喜び。自分が助けたことで誰かが喜んでくれる幸せ。

人間の存在を前提にした、プログラミングされた喜びや幸せではなく、自分の意思で見に行こうと思って見にいった蛍。大切な人の隣で見る綺麗な、光るロボット達。

あの時オリバーとクレアに湧いた感情は、きっと彼らが彼らとして生きてきたからこそ、そして2人で時間を一緒に過ごしたからこそ生まれたもの。

あの蛍の美しさは、あの幸せは、人間に作られた「ヘルパーロボット」ではなく、「オリバー」と「クレア」として、2人が感じられたものだったんじゃないだろうか。

 

その後も、人間がプログラムした喜びを越える幸せな時間を、二人は築いていく。

本来誰かを助けるために作られた2人が、けれどその「誰か」を失ってしまった2人が、「誰かを助ける、喜んでもらう」以外の喜びを見つけて、

2人で楽しく過ごしているあの時間が、私はすごく好きだ。

4度目、その幸せな時間が終わってしまうと知っていながら見ていても、あの「愛おしくて壊れそう」と歌う幸せそうな2人を見て、幸せで愛おしくて仕方なくなった。

「ヘルパーロボット」としての幸せな時間(オリバーがジェームズと過ごした過去や、クレアが元持ち主を愛おしく思っていた過去)とは違う、

オリバーとクレアだからこそ感じられた幸せな時間。それを知った2人が、本来感じえなかったはずの幸せを積み重ねていくあの時間、彼らはロボットの作り手である人間の手の中を抜け出していったんだろう。

「見たか、人間…!」と優しい2人の代わりに言ってやりたくなるぐらい(かくいう私も人間だけど)、私は2人のあの場面が好きでした。

 

 

 

・ジェームズと家族

4回見てもやっぱり、ジェームズがオリバーを手放した理由は分からないなぁと思ったんですが、

今回何となく、ジェームズはあまり家族と仲良くはなかったんだろうなぁ、と感じたり。

「ヘルパーロボットが持ち主の許可なく遠出するなんて」「新しいヘルパーロボットは絶対に家出なんかしない」

暗に「古いあなたは我が家には必要ない」とオリバーに示す家族達。

たぶんジェームズの家族は、ヘルパーロボットをロボットとしてしか扱っていないと思うんですよね。あくまで性能、使い勝手(自分たちの都合の良いように働いてくれるか)からしかロボットを見ない。かつてジェームズが「友達」として大切にしていたオリバーですら。

一方でジェームズは、クレアの言う通り、おそらく本当にオリバーを大切に思っていた。ロボットと人間ではあるけれど、「僕と君は友達だ」とオリバーに教えたのは、他でもないジェームズだと思うから。最初こそヘルパーロボットとしてオリバーを迎えたのかもしれないけれど、2人で過ごすうちに、オリバーの存在は「自分を助けてくれるヘルパーロボット」だけではなく、大切な友人にもなっていった。

ただ、あの世界の中で、ヘルパーロボットとの付き合い方として普通なのは、おそらくジェームズの家族の方なんだろうなと思ったりもする。古くなれば、新しい型に変える。スマートフォンと同じように、あくまでも彼らの存在は人間にとっては「モノ」なんだろう。

 

そもそもジェームズという人物自体、オリバーの回想の中で、オリバーからの視点からしか描かれないため、実際のところジェームズがどういう人物なのかは分からないんですよね。「オリバーにとってのジェームズ」しか出てこないから。

 

けれど、彼にとって、家の中で一番心を許せる存在がオリバーだったのかもしれないな、と。

ロボットを人間のように扱い、友達として接する心優しい人だったのか、はたまた実は家の中では、オリバーにしか心を許すことができない孤独な人だったのか、ジェームズの本当の姿は分からないままだけれど

ジェームズにとって、オリバーは間違いなく必要な存在だった。

オリバーにとってジェームズが大好きでかけがえのない存在だったのと同じぐらい、ジェームズにとっても、オリバーは唯一無二の、心を許せる、自分を癒してくれる大切な存在だったのだろう。

ジェームズが、オリバーと出逢えて良かったな。

 

 

 

・クレアはやっぱり

メイビー、ハッピーエンディング。

この作品、登場人物の過去であったり心情であったり、色々とこちらが想像できる余白が残されているなと思うのですが、その中でも一番「観たあなたに委ねますよ」と分かりやすく解釈を委ねられているのが、タイトル通り、あのラストですよね。

暗闇の中でジジジ…と音がして、オリバーの部屋でオリバーが1日の始まりを迎える。最初と同じ。だけど、少しずつ何かが違う。

 

若干話は逸れるんですが初回観た時、オリバーとクレアが「忘れよう」と歌い、思い出を消そうとするあの場面、

オリバーが植木鉢を元の窓際の位置に戻し、糸電話をしまうあの場面、

…ほんっとに涙腺が崩壊したんですよね……あそこの音楽、めちゃくちゃに良いじゃないですか……あれ、何ですかもう。泣くに決まってるじゃないですか。何なんですかもう(最大限に褒めています)。

 

 

覚えていても良いことがある

覚えていて欲しい

 

最初は植木鉢の置き場所から始まり、どんどん2人の思い出に移っていって

 

「忘れないで」

「覚えていてほしい」

私との思い出を

僕との思い出を

 

それはもう、

「(私のことを)覚えていて」

「(僕のことを)忘れないで」

ということで

 

2人の時間はもうすぐ終わってしまう。

残しておくと辛い、だから忘れたい。あなたが傷付くのが嫌だから、どうか忘れて欲しい。

ふたりの思い出をなかったことにしてしまおう。時間を一人でも幸せだったあの頃に戻してしまおう。

 

そう台詞では言っているのに

歌では「覚えていて欲しい」「忘れないで」と歌う。

忘れてしまいたい。でも忘れて欲しくない。

覚えていて欲しくない。でも覚えていたい。

相反する想いがふたりの中で鬩ぎ合う。

 

あの暗闇のなかで、私も二人と同じことを、二人に思っていたんだろうな、と思う。

どうか消さないで

忘れないで

覚えていて

 

そしてその後、暗い夜が明けて、オリバーの部屋に朝が来る。

どうなるんだろう、2人とも、消してしまったんだろうか。

 

オリバーが目覚めて、1日が始まる。

始まりと同じ曲が流れる。

初回、気付いたのはオリバーが「しっ!」と植木鉢に語りかけた瞬間。ノックの音がして、クレアの声がドアの向こうから聞こえてきた、そのときのオリバーの反応。そして、クレアに対する優しい声。

 

「あぁ、もしかして、オリバーは」

と思ったらまた涙が止まらなくなった。

ちゃんと残してくれた。消さないでいてくれた。その選択が嬉しくて仕方がなかった。

 

その後、2回目に見たら、最後、朝起きた時点で、オリバーが植木鉢を日の当たらない場所に移していることに気がついて、あぁ、ここにも「メイビー」に含ませている欠片があったんだな、と思った。

 

ただ、クレアに関しては、最初は本当にどっちなのか分からなかったんですよね。

オリバーほど明確なものがないから。2回観ても、本当にどっちなんだろう…?という感じ。

(「メイビー」な終わり方にしている作品だから、終わりの感想が「分からない」でも全然良いんだと思うんですけどね、つい考えたくなっちゃうんですよね…)

 

ただ、②にも書いたんですが、

3回観た時点で、クレアは記憶を残すことを選ぶ人だろうな、と思ったんです。
出逢わなければ知らなかった悲しさを、出逢う前に戻すことでなかったことにするような選択を、クレアという人は取らないような気がした。

 

だから、3回目の時点で、最後は二人とも記憶を残しているんじゃないだろうか、というのが私のラストの解釈の着地点でした。

 

そして、今回。

4回目を観て、またひとつ気づけたことがあった。

音楽が流れて、オリバーが朝起きて、1日が始まって、そして、クレアが訪ねてくる。

 

コンコンコン

 

ノックが、3回なんですよね。

 

初めてクレアが訪ねてきたとき、クレアのノックは2回。

その後、オリバーがクレアに充電器を、貸すやりとりをするときに

「ノックは3回、コンコンコン」

の約束をする。

 

ということは、やはり、クレアも。

 

気が付いたとき鳥肌が立ちました。

 

これ、気がつく方は1回2回で気付かれるんだろうなと思うんですが、私は4回観てようやく気が付いて、ゾワワ……!となりました。ノックの音でこんなに鳥肌が立つのは人生で初めて…いや最初で最後な気がする。

 

というわけで、私は4回目も同じく、二人とも記憶を残しておいた、という解釈をしたので、その前提で話をしますが、

最後、オリバーもクレアも、どちらも記憶を消したていで、やりとりを続けますよね。

どちらも消していないと考えて見てみると、オリバーよりクレアの方がよほど器用に初めましての演技をする。それこそ、見ている方がどちらだか分からないぐらいに。

けれどそんなクレアも、

ノックの回数はもう無意識になるぐらいすっかり身体に染みついていたんだろうな、と思うと、なんかもう、たまらないですよね……

 

ふたりの関係性が深まっていったのはチェジュ島への旅以降かなと思うんですが、あの充電器を貸す、返す、貸す、返す、の繰り返しの日々も、2人とも、とっても楽しくて幸せそうだったから。

クレアには友達がいるから、家の外の人には会っていたのだろうけど、それでも、毎日誰かと会う、話す、なんて日々は二人ともきっと久しぶりだった。何よりオリバーは、「お役に立てて光栄です」と久々に毎日言える日々が、きっと嬉しくて仕方がなかったんじゃないだろうか。あの繰り返しのシーンの2人は、楽しそうで嬉しそうで、とてもかわいい。

そして、「ノック3回、コンコンコン」は

あの二人の時間の、始まりの頃のただ充電器を貸す、返す、の繰り返しの日々の、象徴だと思うんですよね。

 

コンコンコン。

ノックしてオリバーを訪ねる。

コンコンコン。

ノックが鳴ったらクレアが訪ねてくる。

2人ともきっと、1日2回のコンコンコンを楽しみにしていた。

そんな最初の頃の微笑ましい日々が、嬉しいノックの音が、ひっそりラストに繋がっているなんて、何ともう………

 

 

そんなわけで4回目、最後に見た2人の最後は

個人的には1番ハッピーエンドに見えたなと思います。

 

観た人ひとりひとりに、それぞれ違うエンディングがあるんだろうなぁ、と思うこの作品。

自分の中で落としきるまでは、あまり積極的に誰かの感想を見にいくことはしなかったけれど、

ひとまずは書き切れて満足したので、色々な人のメイビー、ハッピーエンディングを覗きにいこうかなと思います。

プログラムもまだ届いていないので、読むのが楽しみだ。

 

 

 

さて、

最後にちょろっと書き残したことを残しておこう…!ぐらいの気持ちで書き始めたのに、3つ書いたなかでも1番の長さになってしまった。

でも、書き残したことはないなと思えるぐらい、好き勝手に思う存分書けたので、よしとしましょうか。

本当にすぐ忘れてしまうから、残しておけて良かったな。文章を書いて残せる余裕が自分にあるときに、この作品を観ることができて良かった。

 

 

そして、本日無事千秋楽を終えられたとのこと。本当におめでとうございます。

タイトル通りこの幸せな作品が、無事ハッピーエンディングを迎えることができて、本当に良かった。とても嬉しいです。

この時期に、ありがたくも観ることができて、とても幸せでした。今もたっぷり幸せです。

 

ありがとうございました!