140字の外

140字に収まらないもの置き場です。始まりは天保十二年のシェイクスピア。

2021観劇ふりかえり(上半期)

今年もそろそろ終わりそうな雰囲気がしてきましたね。

基本このブログはアドレナリン大放出状態、ほぼほぼ勢いで書き残すものが多いので、こんな緩やかなテンションで書き始めることはあまりないのですが、今回は2021年の観劇の思い出を書き残しておこうかなと思い、ブログを開いてみました。

 

今年はなんとなく去年よりも色々な作品を観に行けたかなぁ(体感)と思っていて、もちろん数が多ければ良いとかいうものでもないと思うけれど、色々な作品に出会えて楽しかった観劇2年生の年だったなぁと思います。

それで、ふとこの間、「余裕のある年はその年の観劇記録をまとめておいたら10年後ぐらいとかに見返したら結構楽しいのでは…………?」と思いついたので、ゆるっと今年観た舞台の記憶をまとめてみたいと思います。観た作品名の記録と、感想というよりはその作品とその近辺の記憶になります。まとめずポツリポツリと書いてみる。

 

それでは2021年、始まりに遡ってみます!

 

 

1月

1.INSPIRE 陰陽師

2021年一発目。

懐かしい。新年早々光と音が刺さるように降ってくる新年早々の日生劇場。実はこの時、日生劇場に入るのが天保ぶりで、足を踏み入れた瞬間から涙腺が危なかった。「うわ、このエスカレーター、この階段、懐かしい………あれ以来だ……あれ以来か…………」と何を見てもあの時期の記憶が蘇ってきた。

本編は休憩なしのノンストップで進んで行って、観終わった後は「とにかく光と音のアトラクションだったな……」と思った記憶がある。新年早々浴びた浴びた〜!!!っていう感覚があって楽しかった。割とトンチキ(小声)なんだけど、視界が贅沢なショー感が強いのであんまり気にならなかった。新年一発目、ドーンバーン!光!(雑)って感じで豪華で楽しかった。生の大沢さん、声が本当に本当に良くて、聴いているだけでこれは厄祓いされそうだった。お声はもちろんだけど、存在としてものすごく清い晴明がそこにいたので、同じ空間にいるだけで祓われて浄化されるんじゃないかな……今年は安泰だ…と神社に参拝しに来た気分になった。グッズの青い水琴鈴は未だに鍵についている。音が綺麗。

 

2月

2.屋根の上のヴァイオリン弾き

割と何となくで取ったチケットだったんだけど、振り返ると二連続で日生劇場。恋しかったのかな………

陰陽師からここまでで1ヶ月くらいあいていて、舞台にもミュージカルにも少し飢えてたのか始まった瞬間「やっと観れる………」とオアシスにでも辿り着いたような気分で着席した記憶がある。全然何も知らない作品なのに、曲が始まった瞬間嬉しくて泣きかけた。

ストーリーとしては明るいだけのお話ではないのだけど、音楽が朗らかで村人達が明るくて、観ていて楽しかった。輪になってぐるぐる踊ったり歌ったりしている絵が浮かぶ(記憶が定かかはわからない)。「しきたり」という言葉が何度も繰り返されるお話だった。それは村人達の中では村の中の掟、というような意味合いを持つのだけど、すごく普遍的なもので、今現代を生きる私達にもあらゆる「しきたり」があるのだろうな、と思った。時代によって、地域によって、そのコミュニティの中では「当たり前」とされるしきたりに私達は常に縛られている。各々少しずつ違うしきたりで、自分を縛り、同様に他者を縛り、時に自分を守っていたりするんだろうな。そんなことを思いながら帰った覚えがある。

 

3月

3.GHOST

2021年初浦井さんのお芝居&ミュージカル。

GHOSTは映画も観たことがなかったので、カップルの彼氏の方が突然死んでしまい幽霊になる話、ぐらいの知識で観に向かった。で、その印象でいくと結構切ない感じでお話が進んでいくのかなと何となく思っていたら、実際観に行った時に思っていた5倍ぐらいテンションが高くて初回めちゃくちゃびっくりしたのを覚えている。あと思っていた10倍カールがクソでびっくりした。初回はとにかく「えっっテンションたかいね……明るいね………」って目をチカチカさせながら見てた。でも回数を重ねるうちにそのハイテンションさにも慣れていって、オダメイタイムとかどんどん癖になっていって、後半はモリーに感情移入しすぎてすんごい号泣してた。見る度に印象がかなり変わっていったのが自分の中では結構面白かった。

あと、初めて「これはこの人の目線で話が進んでいく作りなんだな」とか考えた作品かもしれない。GHOSTってサムから見た世界として描かれているので、前半は人間だけの世界、後半はゴーストと人間のどちらも見えるゴースト側の世界、そこを移動していくサムの視点で話が進む。観客が見ている世界は基本的には常にサムから見た世界。だから、意外と結構モリーに感情移入しにくい作りになってるんだな……と思うのだけど(観客はサム目線で話を追っていて、死んだ後も何だかんだ元気なサムの姿をずっと見続けているので)、何度も見ていると「モリーはあのサムが殺された瞬間からもうずっと一人なんだな………」「モリーは喧嘩別れしたまま、あれを最後にサムの姿を見れなくなってしまったんだな………」とかちゃんと想像力が働いてくるので、自然とモリー視点でも見られるようになってくる。死後、なんだかんだで優しいゴースト達や、なんだかんだで協力的なオダメイに囲まれ賑やかに過ごしてるサムと違って、モリーって本当に孤独なんですよね。家でも一人、出かけても一人、唯一訪ねてくるカールはクソだし、(モリーからしたら)怪しい霊媒師の話で少し希望が持てて、でも誰にも信じてもらえなくて、裏切られたと思って、結局ぬか喜びしてしまった自分に更に落ち込む。でも、だからこそ、最後のモリー視点(サムが見えない)からの、サムの声が聞こえる、サムの姿が見える………のシーンで完全に涙腺が飛ぶんですよね。ずっと一人きりだったモリーがようやくサムに会える。でもサム、ようやく見えたと思ったらすぐ笑顔で階段上ってっちゃうし、モリーしんどすぎんか………サム、そんな清々しい顔して……お前はずっと見てたかもしれないがモリーは今初めて見えてるんよ……期待と絶望を繰り返してようやくようやく会えたんだよ……だからもうちょっといて……?(ウッウッ)…………という具合で、3月後半はかなりモリーに心が寄ってましたね。サム、罪な男ですね………(そして5ヶ月後に更にえぐいレベルの罪な男が現れます)。

あとこれは超どうでもいい余談なんですが、ラストシーン、もちろん観客から見た姿はサムそのものなんだけど、モリーが実際キスしたのは、オダメイ……オダメイなのか………?とか非常に余計なことを考えてしまって一人オロオロしました。余談でした。

 

4.ウェイトレス

個人的に2021年なんでチケットを1枚しか取らなかったんだ大賞ダントツの第1位。

音楽もストーリーも本当に好みだった。3月末、東京公演あと数回というところで観に行ったので追いようがなかったんですが、本当に観るタイミングを間違えた……と思った。あと1回、欲を言うならあと2回は観たかった。これ以来、なるべく気になる作品は前半か中盤で組めるように心掛けてたぐらいには反省した。観たかった欲が1ヶ月ぐらい収まらなくて、英語版のサントラを4月にひたすら聴いていた。

途中「あ〜うんうん女として生きていくって面倒だよな〜荷物多いよな〜」って思うんだけど、行ったり来たりしながらも「まあまあじゃなく本当の幸せ」の方に進もうとする、進んでいく主人公を数時間見ているうちに、気付けば何となく力がむくむくと湧いてくるようなミュージカル。笑いどころも多くて元気が貰えるし、何より音楽がとても良くて聴いているだけでワクワクしてくる。観ていて押し付けがましくない形で背中を押してくれて、しかもその押してくれる方向も「あなたの向かいたい方に行ったらいいんだよ〜ほら!行っておいで!」って感じで、何も定められてなくて、でもなんかちょっと進んでみたくなる背中の押し方。頑張れ!とか勇気を出して!とか他人事なメッセージじゃなくて、「私たち、頑張ったら意外と何とかなるんじゃない?」「色々あるけどさぁ、逞しく楽しく生きていきたいね?」みたいな、共闘というか、同じ目線から「私達やってやろうじゃないの!」って鼓舞してくれるような。登場人物との心理的な距離関係が、向かい合ってるわけでも、後ろから応援されるわけでも、彼らの姿を遠くから見ているわけでもなくて、隣に立って、各々の方向を見つめてる、みたいな位置関係にある感じ。それがすごく好きだった。

 

4月

なんと観劇数ゼロ。確かフェイクスピアの予定が急に出て、「3月も結構散財したのに突然の5〜7月の推しの舞台はやばいな…?お金ないぞ……?!」と焦り気味に舞台を抑えめにした時期。とはいえ、朗読劇にコンサートに、推し活には元気に励んでいた。でもだからこそ、推しには会っているはずなのに「あれ、何かが足りない……?枯渇している……飢えている……?」と栄養不足状態に陥り、すっかり推しとは別に、舞台やミュージカル自体が自分の生活に必要不可欠になっていることに気付いた月。推しきっかけで知らぬ間に浸かっていた舞台沼が、もう推しとは別枠で自分にとって大事な活力源になっているんだなぁと思った。替えが効かないぐらいに好きなものが気付いたら増えている、という嬉しさもあったけど、「やばいな、これはもう当分抜け出せんぞ………」という危機感(?)も抱いたりした。

4月の余談: ちなみにこの月にあった坂元さんの朗読劇は、最前の下手、高橋さんのほぼド正面という、私のこれまでの席運では考えられないほどの超ウルトラスーパースペシャルサプライズ良席で、身の丈に合わない席に開演前ぷるぷるしていた。客席は暗くておそらく舞台上からはそこまで見えないとわかっていても、台本の先にある景色として邪魔になりたくなくて、めちゃくちゃカチンコチンになっていたら終わった後やばい肩凝りになった。加えてかなりの静寂で極力音を立ててはならん……という緊張状態にあったからか、かなりの長時間歯を食いしばっていたらしく、終演後顎と歯と頭も痛くなった。さらに帰り道割とえぐい靴擦れをして大分出血していたのにもかかわらず、次の日の朝血濡れた靴下を見るまで気付かず、痛覚も麻痺していたらしかった。結論、推しを目の前で長時間拝むと色々身体に影響が出るのだなということがわかった。

 

5月

5.フェイクスピア

まさか2020年に高橋さんの舞台を観て、その翌年にもまた観られるとは思っていなかった。生の高橋さんのお芝居を2年連続で見られるとは。しかも発表が急。そして初、野田地図。野田さんという方自体は存じ上げていたけれど、調べるとなんだか中々に難しい作品が多そうな雰囲気で、果たして理解できるのかな……と5月に始まる前はそわそわしていた。とはいえ基本的に非常に面倒くさがりなので、野田さんの作品にどんなものがあるのかとか予習をすることも結局なく、高橋さんが「天才」と評する野田さんという人が一体どんな人なのかも想像できず、「まあ難しいことは知らんとにかく観たらいいんじゃ!!!」の精神で芸劇プレイハウスに向かった。芸劇もこの時がお初。

特に決めているわけではないけれど、複数回観た作品は何となくブログに感想を残すことが多い。ただ、フェイクスピアは何度観ても何かを書ける気がしなくて、というか安易に書いてはいけないような気がして、結局書かなかった。とはいえ、観て気付いたことを喋りたくなる作品ではあるので、観るたびにふせったーでその回に感じ取ったこと、気付いたことを書き連ねていた。ただ、それも後半になってからで、前半戦はひたすら観て受け取る、また観て違うものを受け取る、を繰り返していて、誰かの考察を読むのも自分の中で感じたものを整理するのも少し控えていたような覚えがある。変に形にしないでぼやけたまんま、見たまんまの自分の状態を大事にしていたかったのだと思う。6月も後半になってきたら、今度はその何度も観て溜めてそのままにしておいた色々が自分の中で化学反応を起こし出して、途端に言葉に出して喋りたくなる期間に入った。色んなものが脳内でぱちんぱちん、と繋がっていって、とにかくそのうわぁぁあ…!を外に出したくてひたすらふせったーを使いまくっていた。観て、考えて、また観たくなって、の繰り返し。けれど何度も観たい、と思う反面、何度も観たいなどと思ってもいいのだろうか、とぐるぐるしながらずっと通っていた。それでも、この時期私がフェイクスピアからものすごく力を貰ったことは確かで、やっぱり何度観ても観られて良かった、と思ってしまった。

と、やっぱりあらためて振り返っても話本体について書いておらず、あの時期の私を振り返っただけになっているなと気付く。でも、今のところはそれで良い気がする。

 

6.レ・ミゼラブル

人生初レミゼ

本当は3回ぐらい観てみたかったけれど、結局1回観たきりで終わってしまった。でも、1回でも観られて良かったなと思う。その1回の席が程よい前方席だったのも良かったと思う。かなりがっつり食らったし、ものすごくレミゼの世界に呑み込まれた。何故だか分からず泣いている瞬間が何度もあった。

レミゼは映画版も見たことはなかったのだけど、登場人物の名前だけはジャンバルジャン、エポニーヌ、コゼット、マリウス、ぐらいは知っていたので、カタカナの名前苦手症候群を持っている私でもギリギリ何とかなった。ストーリーもざっくりとではあるけれど一応知っていたのも良かったかもしれない。思っていたよりもかなり歌が多かったので、多分何も知らなかったら完全に置いて行かれた気がする。いや、多少知ってるぐらいだってたので実際はちょいちょい「えっ今のどういうこと…?」とはなっていたし、歌多くてストーリー展開分かりづらいな?とかちょっと思ったりはしたのだけど、とにかく舞台上からのエネルギーがすごすぎて、そういう諸々がどっかにすぐ追いやられてしまう感じがあった。役のエネルギー、歌のエネルギー、帝国劇場という場のエネルギー、そしてレミゼという作品が持つエネルギー、全部がびっくりするぐらいぶわっと迫ってきて、本当に終始圧倒されっぱなしだった。舞台の上から降ってくる諸々の力強さがとんでもなくて、終わった後はふらふらになった。長年沢山の作品を受け止めてきた劇場で、長年受け継がれてきた作品を観るというのはこういうことなんだな、と歴史を持つ作品の力を体感した。初帝劇がレミゼで良かった。

観られて良かった、と思うし、また観てみたい、これからも観続けてみたいな、と思う。

 

6月 

7.首切り王子と愚かな女

予想以上にものすごく好みだった首切り王子。

元々ファンタジーが大好きなので、内容自体もハマればかなりハマるだろうな、と思っていた。加えてその時点で未だお芝居を見たことなくて見てみたかった芳雄さんと、ドラマなどで素敵だな〜と思っていた伊藤沙莉ちゃんがメインとくれば、これはもう見るしかねぇ……!とさくっと観ることを決定した作品。なので、元々かなり期待値は高かったのだけど、それをズバーンと超えて大好きだ………となったので、1度の予定だったのが2度観ることになった。何ならフェイクスピアと時期が被っていなければもう一度観に行っていたと思う。とっても好きな作品だった。

何が好きだったのか、とあらためて考えると意外と分からないのだけど、この作品の中の人たちは、本当に一人一人がものすごく「生きてる」感じがして、観ているだけで舞台の上から生のエネルギーが勢いよく客席まで迫ってくるというか、良い意味で、毎回何かに殴られた感じがしていた。生きる意味とか生きるに値する何かとか、そうやって言葉にすると抽象的で大きすぎて、どこかぼやけたものに思えるけど、本当は今生きている瞬間にとても近い、地続きなことで、彼らの姿はファンタジーの遠い世界の中にあるようで、ものすごく近い場所にあるんだなとか、そういうことを考えていた気がする。「首切り王子と愚かな女」のタイトル自体はトルとヴィリを指しているけれど、あの中の全ての登場人物達が主人公に見えた。脇役はいないと言っても結局は脇役にされてしまうお話も沢山あるけれど、あの世界の中の人達は本当に一人一人がちゃんと生きていて、あれは彼ら一人一人の話で、同時に私達の話でもあるんだなと思えた。生きること、死ぬこと、人間が人間を治めるということ、その力が人の生死を決められるということ、生きるに値すると思える光に出会えること、それを失うこと、愛され望まれることと、愛されず望まれないこと、すべてが遠い異国のファンタジーの話のようで、すぐ側にある話だった。

トルの美しい歌と、ヴィリが最後に見た真っ赤な空が、観終わった後も残り続けるのが印象的だった。

 

 

 

 

と、いうことで!

2021年上半期はどうやら7作品観ていたようです。大体平均月1作品ぐらいなのかな。とはいえ、推しの舞台は何度観ているか恐ろしくて数えていないので、あくまでも作品数カウント。

観劇二年生、舞台を観る回数を重ねるごとに、少しずつ自分の瞬間的状況把握能力みたいなものが上がっていくのが楽しかったし、面白かったです。でも、わからないときも「う〜〜ん全然分からないな〜〜アハハ」って楽しめる感覚はこれからも持っていたいなと思う。自分のキャパを超えるものを観た時に、「う〜〜ん!全然!分からない!!!」と大の字になれる謙虚さというか図太さをおばあちゃんになっても持っていたいし、誰かの解釈も、数分前の自分の解釈だって、今この瞬間の私の頭と心には関係ないのだ〜!と思える自由を忘れたくないし、どんな名作ものっとふぉーみーな時は素直に「なーんかここがどうもしっくりこないんだよなぁ…」とモヤモヤぶつぶつできる素直さを大事にしたいし、酷評されてる作品でも「私はなんか好きだなこれ…」と自分の好きを逃さない細やかさをちゃんと備えていたい。観劇に限ったことじゃなく、年齢の数字が増えようと、経験した物事が増えようと、慣れてふんぞりかえって何でも我が物顔になってしまうのはなんだかつまらないし、ずっと同じ場所に留まって見たり考えたりしてたら、新しいものを楽しめなくなってしまうのは退屈だし。とはいえ、自分の変わらない好きなものは大事にしつつ、自分の今の旬な心も尊重しつつ、どんどん知らないところを耕していきたいですね。

と、何だか年末の今年の総まとめみたいになってるけどまだ上半期しか書いてない。そしてまだ今は11月。さて、下半期をまた書くのかどうかは分かりませんが、上半期分、書いてみたら楽しかったので、また書けるといいなぁと思います。12月の自分の気分よ向け。

 

それでは、上半期振り返り、終わりです!